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 尖閣諸島問題での国境の勘違いは国際法上訂正可能

 

   中国の人民日報が尖閣諸島が琉球諸島に属するとした中国語の記事や中国(台湾を含む)で出版された(台湾を含む)中国国内向けの地図で国境線が誤って引かれていたのは勘違い (錯誤) が原因である。日本領論者は訂正不可能な決定的過失のように大喜びで指摘しているが、国連が条約に関する国際慣習法を法典化した「条約法に関するウィーン条約 (条約法条約) 」第48条によれば、十分に調査をしたはずの条約ですら錯誤による無効の主張によって誤った表現を無効として無かった事にして訂正ができる場合があり (注1) 、国境に関する勘違い (錯誤) でも錯誤無効として無かった事にして訂正の余地がある (注2)

条約法に関するウィーン条約 (条約法条約) 第48条 (原文は外務省ホームページ資料参照)

 

1 いずれの国も、条約についての錯誤が、条約の締結の時に存在すると自国が考えていた事実又は事態であつて条約に拘束されることについての自国の同意の不可欠の基礎を成していた事実又は事態に係る錯誤である場合には、当該錯誤を条約に拘束されることについての自国の同意を無効にする根拠として援用することができる。

 

2 1の規定は、国が自らの行為を通じて当該錯誤の発生に寄与した場合又は国が何らかの錯誤の発生の可能性を予見することができる状況に置かれていた場合には、適用しない。

 

3 条約文の字句のみに係る錯誤は、条約の有効性に影響を及ぼすものではない。このような錯誤については、第七十九条の規定を適用する。

   それゆえ、(台湾を含む)中国国内向けの地図で国境線が誤っていても、中国国内向けの中国語の新聞記事の領土に関連する地理的表現における勘違いは錯誤無効として訂正可能なのである。ただし、条約の場合には、勘違い(錯誤)であったとして無効が認められる場合と認められない場合がある。国際法で錯誤による無効が認められない場合について条約法条約 (注1) 第48条2項に示されている。錯誤無効の主張が認められない場合とは、「自らの行為を通じて当該錯誤の発生に寄与した場合」又は「何らかの錯誤の発生の可能性を予見することができる状況に置かれていた場合」である。また、錯誤に気付いたのに長期間放置した場合にも錯誤無効による訂正は認められない (注2) 。しかし、中国側 (北京政府及び台北政府) は錯誤に気付いた後に放置はしておらず、また、錯誤の原因についての下記の考察から、北京政府や台北政府の錯誤はそれらの無効主張が禁じられる場合には該当しないので、錯誤による無効が認められ訂正が許容される事が判る。

   

   中国側 (北京政府及び台北政府) の錯誤の原因として、下記の原因が考えられる。

 

(1) 日清戦争後、日本が尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) を沖縄県に編入したため、中国政府 (国民党政府と共産党政府) が日本領だと誤解した。これは中国側の過失ではない。

(2) 下関条約に「台湾 及び 附属島嶼」の地図が添付されていなかったため (別記事・[ 下関条約調印書に台湾の地図が添付されてなかった ]参照)、下関条約の調印書原本を保有する中国国民党政府が台湾の附属島嶼の範囲を把握できなかった。下関条約は日本の下関で日清戦争の講和交渉をしており、日本に地図を添付する責任があり、日本の過失である。

(3) 清朝中国は尖閣諸島を含む冊封使航路列島を行政区画の台湾省に編入していなかった (別記事・[ 冊封使航路列島は行政区画に属さない清朝中国の海外属領 ]参照)。そのため、第二次世界大戦後に中国国民党政府が尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) を台湾の附属島嶼でないと錯誤した。しかし、地方行政を行なわない本国・本土から離れた無人島や極めて人口の少ない島について行政区画に組み入れない事例は清朝中国だけでなく欧米でもある (別記事・[ 欧米には通常の行政区画に属さない海外属領も存在する ]参照)。日本でも小笠原諸島では正式に日本に領土編入された明治9年(1876年)時点で内務省の管轄下におかれ、行政区画である東京府に編入されたのは数年後の明治13年(1880年) であった。すなわち、台湾省に編入していなかった事は中国の過失にはならない。

(4)  清朝中期の18世紀に、中国に来ていたイエズス会のGaubil神父がフランス本国のイエズス会に送った地図でHoapinsu (花瓶嶼) とPongkiachan (彭佳山) の順番が入れ替わり、1787年にはフランスのラペルーズ調査隊が更にHoapinsu (花瓶嶼) とTiaoyusu (釣魚嶼) の順番を間違え、それが欧米の海図で定着したため、中国は緯度・経度が正確な欧米の近代的地図・海図を見ても、釣魚嶼 (Tiaoyusu) がHoapinsuと表示されているため比定 (同定) できなくなってしまった。これはフランス及び民間フランス人による故意または(重)過失である (別記事・[ 「和平島」は誤解が生んだ別名 ]参照)。

(5) 下関条約締結の1895年まで、清朝中国が釣魚嶼・黄尾嶼・赤尾嶼の測量をせず、正確な緯度・経度データが無かったという清朝中国の怠慢による過失があった疑いがある。( 別記事 [ 清朝中国は釣魚嶼・黄尾嶼・赤尾嶼近海の近代的測量を怠っていた ] 参照 ) しかし、仮にそうだとしても「自らの行為を通じて当該錯誤の発生に寄与した場合」又は「何らかの錯誤の発生の可能性を予見することができる状況に置かれていた場合」には該当しない。しかも、仮に、そのような中国側の過失があったとしても、第二次世界大戦終結より50年以上前の清朝中国時代の過失であって免責されるべきものである。

(6) 明朝・清朝中国は冊封使船の航路を琉球人を信じて琉球人に任せていたので、日本政府による武力的な琉球併合によって冊封使船の航路の目標にしていた釣魚嶼・黄尾嶼・赤尾嶼の比定 (同定) が困難になってしまった。日本による琉球王国の強制併合は侵略的行為として厳しく責任を問われるものである。

(7) 1919年に尖閣諸島で漂流し魚釣島 (釣魚嶼) の古賀善次氏の漁業事務所で保護・救助された中国漁船員達に関して保護・救助・送還に関する中国への通知で日本政府が1920年に「和洋島」という架空名称を使った事により、以前、清朝末期に中国に亡命した琉球人達や中国政府が「尖閣諸島」に中国領だった「釣魚嶼・黄尾嶼・赤尾嶼」が含まれている事を気付く機会が無くなった。(1920年なら冊封使船や進貢船の乗船経験者が存命していたので「魚釣島」という正式名称なら下関条約以前は中国領だった釣魚嶼だと気付いた可能性が高かった「和洋島」という架空名での通知だったので気付かなかった。) (別記事 [ 魚釣島の事を「和洋島」という架空名で通知した日本政府 ] 参照) これは日本による故意または重過失である。

(8) 釣魚嶼・黄尾嶼・赤尾嶼の識別可能なスケッチが存在しないという中国側の過失があった。(ただし、水墨画風の絵は存在したが識別不能だった。) しかし、この中国側の過失は「自らの行為を通じて当該錯誤の発生に寄与した場合」又は「何らかの錯誤の発生の可能性を予見することができる状況に置かれていた場合」には該当しない。

(9) 黄尾嶼・赤尾嶼については形状・大きさ等の島を識別しうる文章表現が存在せず、釣魚嶼もわずかな文章表現しかなく、単に島名のみの語感の印象と航路の順序と大雑把な距離・針路しか識別・同定の手がかりがなかった。これも中国側の過失である。しかし、この中国側の過失は「自らの行為を通じて当該錯誤の発生に寄与した場合」又は「何らかの錯誤の発生の可能性を予見することができる状況に置かれていた場合」には該当しない。

(10) 北京政府や台北政府の領土管理担当者も人民日報の記者も中国本土や台湾の地図作成者も冊封使録を読んでなかったと考えられる事。これも中国側の過失である。しかし、この過失は「自らの行為を通じて当該錯誤の発生に寄与した場合」又は「何らかの錯誤の発生の可能性を予見することができる状況に置かれていた場合」には該当しない。

(11) 清王朝滅亡に際して引継ぎが不十分だった事も錯誤の原因の一つと考えられるが、日清戦争後に尖閣諸島が台湾の附屬諸島嶼として日本に引き渡されたと下関条約を解釈すべきであり当時の日中の軍事力から50年後に奪回しうるとは予想困難であったので、引継ぎが不十分でも中国側に過失は認められない。さらに、日本は孫文を支援し清朝打倒に協力している。表向きは民間の日本人による支援として美談として伝えられるが、孫文は民主主義を唱えるだけで統治能力に欠ける人物であり、日本滞在中は満州・内蒙古は中国でないとして日本が植民地支配する事を許容しており、明治天皇の生母の実家の中山家にあやかって「中山」と号するなど日本政府にゴマをすっており、統治能力に欠ける孫文に清朝を打倒させ新中国政府の首班にして中国を混乱状態にするのは日本の国益にかなっており、当時国会議員で孫文支援に関わっていた犬養毅が孫文から「女が趣味」と聞いており、孫文が日本で日本人妻・大月薫 (注3-1) (注3-2) を娶り、更に別個に日本人妾・浅田春 (注3-3)囲うために日本政府が機密費から経済的支援をした疑いがある。ちなみに、孫文は妻帯者であったので日本人妻を娶った事は重婚罪(旧刑法・第三百五十四条違背)の疑いが濃厚であり、もし仮に、たとえ当時の日本政府が機密費で支援しておらずとも日本には孫文の重婚を黙認した不正の疑いがある (別記事・[ 日本政府が統治能力に欠ける孫文を使って清朝滅亡させた疑い ]参照)。

(12) ポツダム宣言・第8条からすれば、本来はサンフランシスコ講和条約では本州、北海道、九州、四国以外の日本領となるべき島を明示すべきにもかかわらず示されず、放棄した地域の範囲も不明確にされたが、これはサンフランシスコ講和条約作成交渉時に講和条約原案作成で主導的立場にあったアメリカに日本が国民の領土喪失感情を口実に不明確な表現をするよう要請した事が原因である (注4)

(13) 第二次世界大戦後のエカフェによる東シナ海での石油埋蔵発見以前に中国の歴史学者・向達 氏は明朝時代の水路誌・『順風相送』における「釣魚嶼」が尖閣諸島の「魚釣島」であると比定 (同定) (注5) していたが、中国共産党政府によって冷遇・迫害 (注6) され、その知見は北京政府の領土政策に反映されなかった。しかし、向達 氏が冊封使録を読んでいたか否かは不明で、『順風相送』における「釣魚嶼」が冊封使録の「釣魚嶼」だとまで比定 (同定) できていたかについては疑問がある。よって、北京政府には人道上の過失はあっても領土の錯誤についての過失があったか否か不明である。もし仮に、向達 氏は『順風相送』における「釣魚嶼」が冊封使録の「釣魚嶼」だとまで比定 (同定) できていたと仮定すれば、北京政府に領土の錯誤についての過失があった事になるが、この過失は「自らの行為を通じて当該錯誤の発生に寄与した場合」又は「何らかの錯誤の発生の可能性を予見することができる状況に置かれていた場合」には該当しない。

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   以上、中国側にも御粗末な領土管理の過失が複数存在するものの、日本やフランス人の故意・過失も原因であり、特に、中国が平和的に琉球の宗主国となった事や、冊封船の航路を把握していた琉球王国を日本が武力を背景に併合した事を合わせて考えると、現代の国際法では錯誤無効が認められ訂正可能と考えられる。


(付記):おそらくは、尖閣諸島が琉球諸島に属するとした人民日報記事の場合は「琉球諸島」に関する欧米の辞書・辞典・事典の類からの丸写しが原因で、中国本土及び台湾の地図で国境線が誤って引かれていたのは日本の地図を検証もせずに参考にしたのが原因であろう。もし仮に、そうだとしても、地図の場合は尖閣諸島を実効支配する日米が測量させなかったはずなので著作権侵害にはならないであろうし、尖閣諸島が琉球諸島に属するとした人民日報記事の場合も無断転載の分量がわずかなので著作権侵害になるとは断定できないし、万が一、著作権侵害になるとしても、それは私法上の問題であって、軽微な著作権侵害で領土を失うなどという事はありえない。日本が遣隋使や遣唐使によって中国から大規模に文化輸入した歴史を考えれば、もし仮に軽微な著作権侵害があっても実害が生じてないので大目に見るべきだろう。


(注意):2017年12月3日に、タイトルを [ 錯誤の原因が日本の不正にある場合は中国は無効主張可能 ] から [ 尖閣諸島問題での国境の勘違いは国際法上訂正可能 ] に変更しました。


目次

2018年10月29日 (2016年9月23日 当初版は こちら 。) 

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 尖閣諸島問題での国境の勘違いは国際法上訂正可能   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 条約に関する国際法を法典化した「条約法条約 (条約法に関するウィーン条約) 」第48条参照。

条文は、下記urlの外務省ホームページ資料参照。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S56-0581_2.pdf

(外務省ホームページにおける条約法条約の条文の前半部分urlは下記参照。)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S56-0581_1.pdf

 

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(注2) 条約法条約成立前のカンボジアとタイの国境紛争であったプレア・ビヘア寺院事件 ( カンボジア 対 タイ ) に関する国際司法裁判所・1962年6月15日判決 (注2-1) (注2-2) (注2-3) (注2-4) では、タイによる錯誤の主張に対して、国境の錯誤についても錯誤無効の対象となりうる事を前提に判決がなされている。しかし、タイが独自測量によって錯誤に気付いた後も抗議せずに放置しプレア・ビヘア寺院周辺をカンボジア側に属するとする地図を使用し続けた事等により結果として錯誤による無効は認められなかった。尚、プレア・ビヘア寺院事件1962年6月15日判決において問題となった国境に関する地図はカンボジアを植民地支配していたフランスがタイとの国境画定条約に基づいて作成した地図である。また、国際司法裁判所・1962年6月15日判決ではプレア・ビヘア寺院事件の帰属のみの判決であったが、その後、21世紀になってプレア・ビヘア寺院の世界遺産登録で周辺土地の帰属も問題となり、最終的に周辺土地もフランス (カンボジア側) 作成の地図の国境線が有効として確定した。

 

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(注2-1) 下記urlの国際司法裁判所 ( ICJ ) ホームページにおけるプレア・ビヘア寺院事件 ( カンボジア 対 タイ ) に関する国際司法裁判所・1962年6月15日判決参照。

http://www.icj-cij.org/files/case-related/45/045-19620615-JUD-01-00-EN.pdf

 

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(注2-2) 『国際法判例百選 [第2版] 』 ( 小寺彰・森川幸一・西村弓 編 ) p.10-11 [ 法の一般原則・プレア・ビヘア寺院事件 ] (岩間徹 解説) 参照。

 

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(注2-3) 下記urlの山下明博 著・『世界遺産をめぐる国境紛争:プレアビヒア寺院遺跡』 (安田女子大学紀要 39,243 – 253 2011.) 参照。

https://yasuda-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=251&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=35

 

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(注2-4) wikipedia「プレア・ビヘア寺院事件」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/プレア・ビヘア寺院事件

 

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(注3-1) wikipedia「大月薫」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/大月薫

 

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(注3-2) wikipedia「孫文」の「配偶者」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/孫文

 

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(注3-3) wikipedia「浅田春」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/浅田春

 

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(注4) 『日本外交文書・サンフランシスコ平和条約・対米交渉』 中の第77項目・[ 英国の平和条約案に対するわが方の逐条的見解について ]・p.397において、日本は国民の領土喪失感を理由に経緯度による詳細な規定や付属地図の添付をしないようアメリカに要請している。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/sf2_05.pdf

 

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(注5) 田中邦貴氏のホームページ・『尖閣諸島問題』における「両種海道針経」参照。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/senkaku/ryoshu-1961/

 

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(注6) 中国語版wikipedia「向达」参照。

https://zh.wikipedia.org/wiki/向达

 

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