無料アクセス解析

 欧米には通常の行政区画に属さない海外属領も存在する

 

    尖閣諸島日本領論者の中には、明や清の時代に尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) が福建省福州 (冊封使船の出航地)や台湾の行政区画に属さなかった事をもって、尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) が中国に属さないと主張する者がいるが、それは誤りである。なぜなら、欧米諸国の場合には通常の行政区画に属さない海外属領も存在するからである。たとえば、クリッパートン事件でフランス領と認められたクリッパートン島もフランスの海外県・海外準県に属さず (注1) 、ミッドウェー海戦で有名なミッドウェー島も現在は無人島でいかなる州にも属していない (注2) 。無人島や定住を意図しない極めて少数の研究者や軍人や一時的居住の漁民しかいない島の場合で地方行政を行なわない場合は通常の行政区画に編入する必要性が無いからであろう。

   日本の場合でも、小笠原諸島を日本は1876年に領有したが東京府に編入したのは1880年であり4年間は行政区画に属さなかった (注3-1) (注3-2) 竹島(独島・リアンクール岩)も第二次世界大戦中の1940年に島根県隠地郡五箇村から海軍舞鶴鎭守府の所轄に移管されている (注4-1) (注4-2) 。それどころか、実は、日本政府は非公開の閣議決定によって尖閣諸島を1895年に無主地先占したと主張するが、その時点では尖閣諸島も当時の沖縄県の基礎的行政区画である「間切」 (注5) に編入されていなかったのである。尖閣諸島の大浜間切編入は1902年12月 (注6) である。その理由は、日本政府が尖閣諸島を無主地先占したと主張する1895年時点では近代的実効支配はベルチャー船長の測量・探検によって英国が圧倒的に優位だったのは明白であり、そのため、英国が尖閣諸島のような小さな無人島よりロシア対策のパートナーとして日本を重視するのが明白になった1902年1月30日の日英同盟 (注7) 成立まで尖閣諸島も当時の沖縄県の基礎的行政区画である「間切」に編入されていなかったと考えられる。

   尚、下関条約でも割譲対象の「臺灣全島及其ノ附屬諸島嶼」(第二条) と「臺灣省」(第五条) の語を区別して使い分けているので (別記事・[ 下関条約は割譲対象の「台湾全島及其ノ附属諸島嶼」を「台湾省」と区別 ]参照)、日本も行政区画の台湾省に含まれない「台湾の附属島嶼」も割譲対象に含まれる事を認識していたと考えられる。


(注1) wikipedia「フランスの海外県・海外領土」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランスの海外県・海外領土

 

(注2) wikipedia「アメリカ合衆国の海外領土」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の海外領土

 

(注3-1) 下記urlの東京都・小笠原支庁ホームページ記事参照。

http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/guidance/history.html

>明治    9年(1876年)     国際的に日本領土と認められる。

>                       内務省所管と定められ、移民を送り内務省出張所が設置される。

>・・・・・(中略)・・・・・

>13年(1880年)        東京府の管轄となり、内務省出張所が廃止され、東京府小笠原出張所が設置される。

 

(注3-2) 小笠原村公式サイト・「沿革」参照。

http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline_development/

>明治9年(1876年)       国際的に日本領土と認められる。

>   13年(1880年)      東京府の管轄となり、東京府小笠原出張所が設置される。

 

(注4-1) 下記urlの坂本悠一氏著・PDF参照。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/ssrc/result/memoirs/kiyou32/32-01.pdf

>その後日本は,1941年末に太平洋戦争に突入するが,その前年の40年8月17日には,

>竹島は島根県隠地郡五箇村から,海軍舞鶴鎭守府の所轄に移管された.

 

(注4-2) 島根県・Web竹島問題研究所の下記url記事参照。

http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_k.html

>また、昭和15年8月17日に竹島は島根県の所管から海軍省の用地となり、舞鶴鎮守府に引き継いだ。

>そのため、竹島での土地使用許可申請が県から海軍省となり、昭和16年2月の八幡長四郎の出願に対し、

>海軍省が昭和16年10月1日から20年3月31日までの利用を許可している。

 

(注5) 沖縄県では1908年(明治41年)4月1日まで基礎的行政区画は町村ではなく、「間切」という琉球王国の行政区画が継続使用されていた。

 

wikipedia「間切」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/間切

 

wikipedia「島嶼町村制」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/島嶼町村制

 

(注6) 石垣市役所公式ホームページにおける石垣市教育委員会市史編集課作成記事・『八重山近・現代史年表』 (明治12年~昭和20年8月14日まで) 参照。

http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/Timeline/timeline-page/timeline-11.html

 

(注7) wikipedia「日英同盟」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日英同盟

 


目次

2018年12月9日 (2016年11月8日・当初版は こちら 。)

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 欧米には通常の行政区画に属さない海外属領も存在する   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp