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魚釣島の事を「和洋島」という架空名で通知した日本政府

 

大正時代に尖閣諸島付近で遭難した中国漁船の乗組員が魚釣島で保護された事に関して、中国駐長崎領事から感謝状が保護・救助に貢献した日本人数名に感謝状が贈られました。感謝状には「尖閣諸島内和洋島」とあり、「和洋島」に漂着したと書かれています。

 

 

 

ところが、尖閣列島内に「和洋島」なる島は存在しない事に気付いた中国の劉江永・清華大学国際関係研究院教授は2016年05月05日付け人民網日本語版記事 (注1) で、以下のように述べておられます。

だが「感謝状」に記されている「尖閣列島内和洋島」がどの島を指すのか、今になっても明らかになっていない。中日両国が釣魚島を「和洋島」として扱った先例はない。日本側の資料にも「和洋島」という島名は見当たらない。日本はかつて中国の釣魚島を「魚釣島」「和平山」と称したが、「和洋島」という呼称を使った例はない。

なぜ、中国領事の感謝状に「和洋島」という架空名が書かれているのでしょうか?

それは日本側が中国側に「和洋島」という架空名で通知した事が原因と考えられます。なぜならば、当時の川越壮介・沖縄県知事が「魚釣島」という日本の正式名称を使わず、内務大臣への第一報では「和平島」という俗名 (注2) で報告 (注3-1) し、その後、外務省通商局長には更に一文字変えて「和洋島」という架空の名称で報告 (注3-2) した事が日本の国立公文書館の資料として残っているからです。(「アジア歴史センター」展示資料・レファレンスコード:B12081793600 参照)

「和洋島」という架空の名称は、疑えば、「和洋」すなわち「中華」でなく英国と日本によって緯度・経度測量され探検・調査され、中国とは無縁の島という意味を込めて、意図的に中国名「釣魚嶼」を連想させる日本の正式名称である「魚釣島」という島名を隠蔽したとも考えられます。

仮に、当時の川越壮介・沖縄県知事に好意的に解釈 (注4) しても、外務省通商局長への報告で俗名を誤記した事になります。しかし、日本の役所では公文書に地名を記載する場合には正式名称で記載するのが当然であり、正式名称の併記すら無いのは過失です。さらに、その俗名を誤記したという二重の過失になります。

この事は、後々の中国側の錯誤(勘違い)の原因の一つになった可能性もあり、中国側が人民日報記事で尖閣諸島が琉球列島に属するとか尖閣諸島が日本側に含まれるように見える地図を作成した事について錯誤無効の主張根拠の一つになりうる可能性が出てきます。

*****

実は、劉江永・清華大学国際関係研究院教授が「和洋島」という名称が架空名だと指摘した2016年05月05日付け人民網日本語版記事が発表されるより前に、この真相を石垣市立八重山博物館の学芸員だった島袋綾野氏が発見して、石垣市立八重山博物館紀要・第22号に [ 外務省記録文書に見る「感謝状」のいきさつ ] の一部分に注釈として発表され、八重山諸島の地方紙・八重山日報で石井望・長崎純心大学准教授が寄稿記事 (注5) で明らかにされましたが、全国紙や全国ネットワークのテレビ局でも報道されませんでした。(石井望氏もブログで触れられたのは、私が指摘した後です。) そのため、一般民間人にとっては実質的に八重山諸島だけの秘密となっていたのです。

 

尚、外務省や笹川平和財団傘下の海洋政策研究所・島嶼資料センターは、「和洋島」が架空名称である事を知りながら、その事を隠してホームページ (注6-1) (注6-2) で中華民国領事の感謝状を展示しているので、私は真実を明らかにするよう要求しておきました。


 

日本政府に対する要望:

 

日本政府には、上述の沖縄県知事・川越壮介の報告書以外で、 「公式文書で日本の役所が地名について正式名称を使わずに (そして、正式名称を併記すらせずに) 別名のみで記載」 した事例が ( 領有問題が発生した1970年の前年の1969年末までに ) あったならば、示していただきたい。

外務省・内閣府のサイトで公開されている中華民国駐長崎領事の感謝状について、「和洋島」が架空名である事を明記していただきたい。

 

私の意見:

 

もし仮に「魚釣島」と正式名称で中国側に通知されたならば、琉球処分時に清朝中国に亡命した琉球人 (百人程度) が1920年当時に中国福建省で生存していた者もいたはずで、彼等が日本側が釣魚嶼を「魚釣島」と呼び、釣魚嶼・黄尾嶼・赤尾嶼等を合わせて「尖閣諸島」と日本が呼称していると気付き、中国側が尖閣諸島の実態に気付いた可能性も排除できません。

そのため、仮に、たとえ故意による意図的隠蔽でなく過失であっても、この事を、中国側は第二次世界大戦後に「琉球群島は尖閣諸島を含む」と新聞で認めた事や見方によっては尖閣諸島が国境線の日本側にあるようにも見える地図を発行した事が錯誤によるもので無効だとの主張の根拠の一つとして主張できる可能性もあります (別記事・[ 尖閣諸島問題での国境の勘違いは国際法上訂正可能 ]参照)。

尚、日本の公文書中の地名は正式名称が使われるはずなのに当時の沖縄県知事が内務大臣への第一報で正式名称を使わず俗名の「和平島」で報告し、その後の外務省通商局長への報告では更に「平」の文字を「洋」の文字に一文字変更しており、もし仮に過失と考えると二重の過失であり確率が極めて低く、更に、「和洋」という字句が「中華」ではなく、英国の調査船・サマラン号のベルチャー船長と日本によって緯度・経度・最高地点の標高の測量がなされ、生態・地質調査もなされたので、中国とは無縁の島という意味を現し、また、正式名称の「魚釣島」として中国に通知すると中国が冊封使録等の中国の古典にある「釣魚嶼」だと気付く可能性があるので隠匿の意味で正式名称を秘匿したと考えた方がつじつまが合い、意図的に「和洋島」との架空名を使用した可能性の方が圧倒的に高いと考えられます。

また、現在の日本の外務省・内閣府は、その尖閣諸島問題関連のホームページで中華民国駐長崎領事の感謝状画像を展示しながら「和洋島」が架空名である事を隠し日本領論の根拠としており悪質です。

 


謝辞: 1908年当時の琉球新報記事に「和平山」との記述がある事をコピーを添付してメールで御指摘くださった村田忠禧・横浜国立大学名誉教授に感謝します。


目次

2019年2月12日 (公表当初の2016年8月23日版は こちら )

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 魚釣島の事を「和洋島」という架空名で通知した日本政府   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


中華民国駐長崎領事の感謝状画像の引用元:

石垣村村長 (当時) だった豊川善佐氏への感謝状は内閣官房の [ 尖閣諸島資料ポータルサイト ] の展示画像より引用。

http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/senkaku/detail/s1920052000203.html

 

石垣村 (当時) の職員・玉代勢孫伴氏への感謝状は笹川平和財団の島嶼資料センターの情報ライブラリ展示画像より引用。

https://www.spf.org/islandstudies/jp/info_library/senkaku-islands/01-history/01_history025.html


[ 注釈 ]

(注1) 2016年05月05日付けの人民網日本語版記事 [ 釣魚島問題をめぐる日本側の虚偽の主張に再び反論する ]に以下の主張がある。

http://j.people.com.cn/n3/2016/0505/c94474-9053389.html

> 一、日本外務省によると、「1920年5月に、当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状において は、

>『日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島』との記載が見られ」、これは、釣魚島の日本帰属を中国が認めた揺るがぬ証拠だという。

>だが日本の台湾殖民統治時代 の史料を証拠として持ち出すのは、時間的な順序の転倒した錯誤である。

> 中華民国9年(1920年)5月20日、中華民国駐長崎領事・馮冕が「日本帝国八重山郡石垣村顧玉代氏孫伴君」に宛てたものとされるこの「感謝状」に は、

>「中華民国8年、福建省恵安県の漁民である郭和順ら31人が、強風のため遭難し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した」との記載があ る。

>日本の一部はこれを、「尖閣列島が日本の領土であることを中国が認めていたことを示す最も有力な証拠」とみなしている。

> だが「感謝状」に記されている「尖閣列島内和洋島」がどの島を指すのか、今になっても明らかになっていない。

>中日両国が釣魚島を「和洋島」として扱った 先例はない。日本側の資料にも「和洋島」という島名は見当たらない。

>日本はかつて中国の釣魚島を「魚釣島」「和平山」と称したが、「和洋島」という呼称を 使った例はない。

> 従って「感謝状」記載の情報の真偽には考証の余地がある。

>だが史料の真偽を問うまでもなく、歴史的事実を少しでも分析すれば、「感謝状」が十分な証拠足り得ないことはすぐわかる。

 

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(注2)  「和平島」という俗名については、別項目記事 [  「和平島」は誤解が生んだ別名 ] 参照。

 

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(注3-1) 大正9年1月21日付の沖縄県知事・川越壮介から内務大臣・床次竹二郎宛ての報告書参照。

一枚目 二枚目 三枚目

下の画像は三枚目右半分で、「和平島」と書かれているのがわかる。

 

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(注3-2) 下掲の大正9年2月17日付の沖縄県知事・川越壮介から外務省通商局長宛ての報告書参照。

 

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(注4) 当初、私は厳格な日本の役所の役人が公文書中の地名を別名のみ記載した事は、故意による意図的隠蔽としか考えられないと断定的に考えていましたが、村田忠禧・横浜国立大学名誉教授が1908年当時の琉球新報記事に「和平山」との記述がある事をコピーを添付して御指摘くださったので、故意による意図的隠蔽の可能性以外に二重の過失の可能性もある事に気付きました。しかし、過失が二重に重なる可能性は低いうえに、「和洋」という語が「日本と西洋」を意味し「中華」と対比される語であり、実際、英国のサラマン号のベルチャー艦長と日本により緯度・経度・標高の測量と調査がなされた事も踏まえると、意図的に「和洋」という語が使われたと解する方がつじつまが合うので、中国名の「釣魚嶼」を連想させる日本の正式名称「魚釣島」を意図的に使わなかったと可能性が圧倒的に高いと考えられます。

 

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(注5) 下掲の「八重山日報」・2015年 (平成27年) 11月3日・石井望・長崎純心大学准教授・寄稿記事参照。

 

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(注6-1) 外務省のホームページの「尖閣諸島に関するQ&A」のA4

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#q4

 

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(注6-2)  島嶼資料センターのホームページ記事・ [ 在長崎中華民国領事、福建省漁民の遭難救助に関する感謝状において「沖縄県...尖閣列島」と明記 ]

https://www.spf.org/islandstudies/jp/info_library/senkaku-islands/01-history/01_history025.html

 

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