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 日本の合意がなくとも「衡平と善」によって判決可能

 

    もし仮に、中国が尖閣諸島領有問題で国際司法裁判所に提訴したならば、国際司法裁判所規程・第38条2項の「衡平と善」に基づいて裁判をする合意がなくとも、国際法体系に含まれる「法の下の衡平と善」の適用が認められる事はブルキナ・ファソ=マリ国境紛争事件での国際司法裁判所・1986年12月22日判決で明らかにされている。


「衡平と善」による考察対象

注意

   「衡平と善」は確立した既存の国際法では解決できないか不公平な結果になったり正義に反する結果になりかねない場合に、確立した既存の国際法のみにとらわれず、柔軟に公平な正義の実現を図る予備的な国際法の裁判の基準である。ここで注意すべきは、私が「衡平と善」に言及し「衡平と善」によって中国領とするのが妥当と結論付けるからといって「無主地先占」の法理で中国が不利になるわけではない。その意味で故・井上清・京都大学名誉教授が中国領論者でありながら「無主地先占の法理」批判をされた (注1) のはクリッパートン島事件の判例 (別記事・[ クリッパートン島事件は洋上からの無人島の実効的先占を認める ]参照) の無知による誤りである。尖閣諸島領有問題の場合、確立した既存の国際法である「無主地先占の法理」によっても中国領である事は明白であるが、「衡平と善」という予備的な裁判基準によっても中国領であるとの結論が妥当である事が示される。

   琉球王国に対して明朝中国は文化的経済的恩恵を与え平和的に宗主国となり、中国は尖閣諸島を含む冊封使航路列島を中国と琉球王国間の航路目標として数百年間も環境にやさしい利用をし、中国は国際的に島名と航路を公開してきた。

   それに対して、日本は明治以降、武力を背景に琉球王国を沖縄県として併合し、清朝中国と琉球王国の交流を絶ち、その結果、清朝中国の冊封船や琉球王国の進貢船 (朝貢船) の航行が途絶え尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) の利用もなくなった。その後、朝鮮を独立させる事を大義名分に日清戦争を行なったが、それは虚偽の口実で、実は開戦直前に朝鮮王宮を占領し、日清戦争後には朝鮮を併合した。その不正な日清戦争中に尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) を無主地だとして秘密裏に先占と標杭 (国標) 建設を閣議決定したが標杭 (国標) は建設されず、日清戦争の講和条約の下関条約では割譲対象の「台湾および附属島嶼」の範囲を明示せず地図も添付しなかった。尖閣諸島の沖縄県への編入も勅令による正式手続きでなく (別記事・[ 尖閣諸島は八重山諸島ではなく台湾の附属島嶼に含まれる ]参照)、 尖閣諸島の近代的上陸調査で先行した英国と競合しないよう日英同盟締結後の1902年に新聞報道も無くコソコソと行ない、日清戦争後に作成された日本海軍作成水路誌や日本陸軍作成地図も割譲である外観を示し (別記事・[ 陸軍作成地図も海軍作成水路誌も割譲を示す ]参照)、魚釣島 (釣魚嶼) における中国漁民救助の際も正式な島名ではなく架空の島名を中国側に通知した。日本政府から尖閣諸島を借り受けた古賀辰四郎氏にすら無主地先占であるとは教えず古賀辰四郎氏は日清戦争で台湾の附属島嶼として割譲を受けたと認識していた (別記事・[ 古賀辰四郎氏は尖閣諸島は台湾付属島嶼として割譲と認識 ]参照)。その古賀辰四郎氏は尖閣諸島で環境破壊しまくり (別記事・[ 日本は尖閣諸島で環境破壊をしまくっていた ]参照)、息子の古賀善次氏の代で尖閣諸島での事業から昭和初期には撤退したのである。撤退後も入植時に流入した猫や山羊が放置され生態系を乱し続け、第二次世界大戦後はアメリカ軍の射爆場として利用され環境破壊が拡大した。また、第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約でも緯度経度を明示せず地図も添付しないようサンフランシスコ講和会議を主導したアメリカに要請した (注2)

   中国側にも近代的な測量による実測地図を作成しなかった怠慢による過失があって、それが、その後の失念・錯誤の一因になってはいるが、失念・錯誤の最大の原因は日本が沖縄県にコソコソ編入し第二次世界大戦終結後も放置した事である。

   よって、「衡平と善」によっても、中国領と認定すべきなのは明白である。


目次

2018年12月29日 (2018年4月5日・当初版は こちら 。)

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浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


 重要参考資料

『判例百選・第二版』・有斐閣・小寺彰, 森川幸一,西村弓 編 2011年9月25日発行 掲載項目 [ 衡平 ] ・ p.14-15 ・ 齋藤民徒 解説

 

国際司法裁判所・Frontier Dispute (Burkina Faso/Republic of Mali)・1986年12月22日判決(英語版) 参照。

http://www.icj-cij.org/files/case-related/69/069-19861222-JUD-01-00-EN.pdf


(注1) 井上清 著・『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』 (現代評論社・1972年発行及び第三書館・1996年再刊) の第6章・[ 「無主地先占の法理」を反駁する  ] 参照。

(下記の巽良生氏のサイトに転載されている。)

http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

 

(注2) 『日本外交文書・サンフランシスコ平和条約・対米交渉』 中の第77項目・[ 英国の平和条約案に対するわが方の逐条的見解について ]・p.397において、日本は国民の領土喪失感を理由に経緯度による詳細な規定や付属地図の添付をしないようアメリカに要請している。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/sf2_05.pdf