古賀辰四郎氏は尖閣諸島は台湾付属島嶼として割譲と認識
尖閣諸島で事業を行なっていた古賀辰四郎氏は尖閣諸島での事業の業績で藍綬褒章を受賞した。その藍綬褒章受賞理由の記録が『明治42年 公文雑纂 巻四』中の『古賀辰四郎ヘ藍綬褒章下賜ノ件』に書かれている (注1) 。その『明治42年 公文雑纂 巻四』中の『古賀辰四郎ヘ藍綬褒章下賜ノ件』には古賀辰四郎氏しか知りえなかったであろう記述があるので、古賀辰四郎氏の提出した資料を賞勲局が審査の上で資料としたものと考えられる。当初は、古賀辰四郎氏が尖閣列島開拓の認可を内務・農商務両大臣に出願したが許可が得られなかったが、たまたま日本が日清戦争に大勝した結果、台湾島が日本の版図になり尖閣列島もまた日本領になったので尖閣列島開拓の認可が与えられたとしている。すなわち、古賀辰四郎氏は尖閣諸島が台湾の附属島嶼として日清戦争に日本が大勝した結果として割譲されたとの認識を持っていた事が判る。
一 仝年更ニ尖閣列島開拓認可ヲ内務農商務両大臣 ニ宛テ出願シ傍ラ上京シテ視察ノ實況ヲ親シク具 陳シ認可ヲ懇願セシモ遂ニ認可ヲ與ヘラレザリシ 時偶々明治貮拾七八年戦役ハ終局シ皇國大捷ノ結果 臺湾島ハ帝國ノ版圖ニ帰シ尖閣列島亦我カ所属タ ルコト明治貮拾九年勅令第拾参號ヲ以テ公布アリタルニ付重 ネテ仝島開拓認可ヲ本縣知事ニ請願シ仝年九月認 可ヲ與ヘラレタリ |
尚、古賀辰四郎氏の尖閣諸島の事業を引き継いだ古賀善次氏も尖閣諸島が台湾と共に日清戦争の戦果として割譲されたとの認識を持っていた事が月刊雑誌『現代』(1972年6月号) (注2) のインタビュー記事・p.142-147からわかる。
付記:
もし仮に、『明治42年 公文雑纂 巻四』中の『古賀辰四郎ヘ藍綬褒章下賜ノ件』が古賀辰四郎氏の提出した資料によらず賞勲局が独自に作成したものであるならば、『明治42年 公文雑纂 巻四』中の『古賀辰四郎ヘ藍綬褒章下賜ノ件』は明治時代の日本政府は偶々日本が日清戦争に大勝し台湾島が日本の版図になり尖閣列島もまた日本領になったので尖閣列島開拓の認可を古賀辰四郎氏に出したとの事情を述べ、尖閣諸島が台湾の附属島嶼として日清戦争に日本が大勝した結果として割譲された事を日本政府として認めた事になる。
2018年12月9日 (2017年12月17日・当初版は こちら。)
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(注1) 田中邦貴氏のホームページ・[ 尖閣諸島問題 ]の記事『古賀辰四郎ヘ藍綬褒章下賜ノ件』参照。
尚、国立公文書館が所蔵する『公文雑纂・明治四十二年・第四巻・内閣四』中の『古賀辰四郎ヘ藍綬褒章下賜ノ件』に記載されているはずだが、国立公文書館による
インターネット公開サイトのアジア歴史資料センターでは公開されてない。インターネット非公開だが国立公文書館の館内では請求番号「纂01108100」で公開されているようである。
(注2) 国会図書館で閲覧複写可能。