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 尖閣諸島は八重山諸島ではなく台湾の附属島嶼に含まれる

 

 1.尖閣諸島 (冊封使列島北部) (注1) を「八重山諸島」に含める公示抜きの編入は無効: ( 故・井上清・京都大学教授の指摘 )

 

日本は日清戦争終結直後の明治29年(1896年)3月5日に沖縄県の郡編成に関する勅令・第13号を出している。(上掲の官報記事の画像参照。)

これに対して、故・井上清・京都大学教授(当時)は、尖閣諸島を「八重山諸島」に含める公示抜きの編入は無効である旨の批判をされた (注2) 。

 

2.明治28年(1895年)1月14日閣議では日本政府も久場島(黄尾嶼)・魚釣島 (釣魚嶼)は八重山群島に含まれないとの認識があった

   明治28年(1895年)1月14日の秘密閣議では「沖縄県下八重山群島ノ北西ニ位スル久場島魚釣島(注3) としており明治28年(1895年)1月14日時点では久場島(黄尾嶼)・魚釣島 (釣魚嶼) は八重山群島に含まれないとの認識が日本政府の閣僚にもあった事がわかる。

 

3.自然地理学的観点からは、「尖閣諸島」(冊封使航路列島北部) は八重山諸島に含めれない

(1) 海底地形から考察すると、八重山海底地溝 (沖縄トラフの南西部分) が「尖閣諸島」(冊封使航路列島北部) と本来の八重山群島とを分断している。

   上掲の「尖閣諸島周辺の海底地形図」を見ると、「尖閣諸島」は中国大陸の大陸棚の辺縁に位置し、その南に八重山海底地溝 (沖縄トラフの南西部分) の深海底があり、その南に石垣島等の本来の八重山諸島があり、八重山海底地溝 (沖縄トラフの南西部分) が「尖閣諸島」と本来の八重山諸島とを分断しており、海底地形を踏まえた自然地理学的観点からは「尖閣諸島」を八重山諸島に含める事ができない事がわかる。さすがに、この事は日本の国土地理院も認識しており、「尖閣諸島」と八重山列島を別個に表示している (下掲の国土地理院の地図参照) (注4)

(2) 台湾-宍道褶曲帯は「尖閣諸島」が八重山諸島でなく台湾本島の附属島嶼である事を示す

   台湾本島北部沖から、日本の五島列島まで東シナ海大陸棚の南東方向にある沖縄トラフで急激に水深が深くなっている。この大陸棚縁辺部や海底の崖状部分の地質構造が「台湾-宍道褶曲帯」 (注5) の東シナ海部分であり、磁気異常がある。「台湾-宍道褶曲帯」全体で見れば、台湾本島北部の草嶺山(桃園市大渓区)や大根島火山(島根県松江市)も、この「台湾-宍道褶曲帯」の小規模玄武岩質火山に属する。尚、「台湾-宍道褶曲帯」という名称がついているが磁気異常や小規模玄武岩質火山の分布から東端は日本の宍道湖ではなく丹後半島と考えられる。

 

   「台湾-宍道褶曲帯」の存在は既に1939年には指摘されていたようである (注6) が、クローズアップされたのはECAFEの東シナ海海底資源調査の予察的地質構造調査(Emery et al., 1969)以降と考えられる (注7) 。「台湾-宍道褶曲帯」によって、「尖閣諸島」)が台湾の附属島嶼である事が明確になった。

 

(3) 台湾本島北部から尖閣諸島の黄尾嶼 (久場島) にかけて玄武岩質の小規模な第四紀火山が点在する。

 

台湾本島の北方の大陸棚縁辺部には棉花嶼 (注8) ・彭佳嶼 (注8) ・黄尾嶼 (久場島) (注9-1) ・赤尾嶼 (大正島) (注9-2) という地質的に新しい年代の第四紀 (注10) の小規模玄武岩の火山島が点在する。さらに、台湾本島北部には草嶺山 (注11) という第四紀の小規模玄武岩火山がある。そして、この黄尾嶼 (久場島)・赤尾嶼 (大正島) は尖閣諸島の島である。

ちなみに沖縄トラフの東側の与那国島から種子島には玄武岩質の小規模な第四紀火山は存在しない (注12)

すなわち、第四紀の小規模玄武岩火山の分布からも尖閣諸島が地質学的に台湾の附属島嶼である事がわかる。

 

4.冊封使の航路として、清朝中国は1683年の第二回冊封以来、赤尾嶼沖に琉球王国の琉球三十六島と隔てる深い海「溝(郊)」(沖縄トラフ)の存在を知っていた

   台湾北部の鶏籠港 (基隆港) 沖の島である鶏籠嶼 (基隆嶼) から、「鶏籠嶼 (基隆嶼) →花瓶嶼→彭佳嶼→釣魚嶼 (魚釣島) →黄尾嶼 (久場島) →赤尾嶼 (大正島) →溝 (沖縄トラフ) 」である事を清朝中国は1683年の清朝による第二回冊封以来認識しており、赤尾嶼 (大正島) までが中国側の比較的浅い海(大陸棚)に属す事を知っていた (注13) 。すなわち、歴史的にも自然地理的に尖閣諸島(冊封使航路列島北部)は台湾北部の鶏籠港 (基隆港) 沖から連なる列島の一部として認識されていたのである。

   尚、日本も幕末の開国以降、欧米の航海技術を熱心に習得・実践しており、当時は既にワイヤー・ロープが発明されパテンティング処理されたピアノ線も製造されていた事 (注14) から、当時の最先端の技術なら沖縄トラフの最深部の測深も可能 (注15)で、日本海軍は日清戦争前に海戦の想定された東シナ海の測深を試み、(たとえ、沖縄トラフの最深部の測深まではしてなかったとしても) 少なくとも清朝中国と同等程度の測深はしていたはずで、下関条約締結前に釣魚嶼 (魚釣島) ・黄尾嶼 (久場島) ・赤尾嶼 (大正島) と石垣島・与那国島の間に深い海があって海底地形として分断されている事を知っていたはずである。


重要参考資料:

井上清 著・『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』 (現代評論社・1972年発行及び第三書館・1996年再刊)

(下記の巽良生氏のサイトに転載されている。)

http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html


目次

2016年12月8日 (2016年11月23日・当初版は こちら 。)

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 尖閣諸島は八重山諸島ではなく台湾の附属島嶼に含まれる   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 歴史的にも自然地理的にも地質構造的には「尖閣諸島」というより「冊封使航路列島北部」というべきであるが、この記事では混乱防止のため、当分の間は「尖閣諸島」という表記を用いる。

 

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(注2) 第二次世界大戦後のECAFEの東シナ海の海底資源調査で石油の埋蔵が判明した後の1970年にアメリカの占領下の琉球政府は「尖閣列島の領土権について」の声明を出し上記の勅令・第13号によって尖閣諸島を編入したとの主張をした。(下記の [ 尖閣列島に関する琉球立法院決議および琉球政府声明  ] 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室・データベース参照)

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19700831.O1J.html

>そこで一八九五年(明治二十八年)一月十四日閣議は正式に,八重山群島の北西にある魚釣島,久場島を同県の所属と認め,

>沖縄県知事の内申通り同島に所轄標杭を建設せしめることを決定し,その旨を同月二十一日県知事に指令しております。

>さらに,この閣議決定に基づいて,明治二十九年四月一日,勅令十三号を沖縄県に施行されるのを機会に,

>同列島に対する国内法上の編入措置が行なわれております。

>沖縄県知事は,勅令十三号の「八重山諸島」に同列島が含まれるものと解釈して,同列島を地方行政区分上,八重山郡に編入させる措置をとったのであります。

>沖縄県知事によってなされた同列島の八重山郡への編入措置は,たんなる行政区分上の編入にとどまらず,

>同時にこれによって国内法上の領土編入措置がとられたことになったのであります。

 

この1970年の琉球政府の声明に対して、故・井上清・京都大学教授(当時)は次のように批判された。

 

> これはまた恐るべき官僚的な独断のおしつけである。

>勅令第十三号には、島尻郡管轄の島は、いちいちその名を列挙し、

>鳥島と大東島という、琉球列島とは地理学的には隔絶した二つの島もその郡に属することを明記しているのに、

>八重山郡の所属には、たんに「八重山諸島」と書くだけである。

>この書き方は、これまで八重山諸島として万人に周知の島々のみが八重山に属することを示している。

>これまで琉球人も、釣魚諸島は八重山群島とは隔絶した別の地域の島であり、旧琉球王国領でもないことは、百も承知である。

>その釣魚諸島を、今後は八重山諸島の中に加えるというのであれば、その島名をここに明示しなければ、「公示」したことにはならない。

>当時の沖縄県知事が、釣魚諸島も八重山群島の中にふくまれると「解釈」したなどと、

>現在の琉球政府がいくらいいはっても、釣魚島や黄尾嶼が八重山郡に属すると、どんな形式でも公示されたことはない、

>という事実を打ち消すことはできない。

 

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(注3) 田中邦貴氏のホームページ [ 尖閣諸島問題 ] の「日本の実効支配 (古賀辰四郎の実効支配) 」の「標杭建設を閣議決定 1895年1月14日」に関する閣議決定資料(1) 参照。

尚、アジア歴史資料センターにおいてもモノクロ画像が公開されている。(レファレンスコード:A01200793600、国立公文書館・請求番号・類00715100)

 

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(注4) 下記urlでの国土地理院ホームページ公開地図参照。

http://maps.gsi.go.jp/#7/25.428393/124.057617/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

 

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(注5) wikipedia「台湾-宍道褶曲帯」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/台湾-宍道褶曲帯

 

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(注6) 文部科学省研究開発局・東京大学地震研究所作成・ 『日本海地震・津波調査プロジェクト・平成27年度・成果報告書 』の「沿岸海域および海陸統合構造調査・(その3)」に「台湾-宍道褶曲帯」に冠する1939年の論文の引用がある。

http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/project/Japan_Sea/JSH27Report/PDF/14-3_H27JSPJ-C3.2.3b.pdf

>これらの褶曲は、台湾-宍道褶曲帯(Otsuka、1939)17) の方向と一致し、

>・・・・・

>17)Otsuka, Y.:Tertiary crustal deformations in Japan. Jubilee Publication for

>Commemoration of Professor H. Yabe's 60 th Birthday, 481-519,1939.

 

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(注7) 井上卓彦(2007):『東シナ海における地質構造発達史-研究レビュー-』・地質ニュース633号・p.37-38参照。

https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/07_05_08.pdf

東シナ海から琉球弧では,ハント号(アメリカ )により

>1968年に行われた黄海~東シナ海における予察的地質構造調査

>(Emery et al., 1969)によって,堆積盆などの分布が明らか

>にされて以来,様々な調査・研究が行われてきました.

>・・・・・

>中国大陸沿岸部から続く東海大陸棚は,

>地形的に中国大陸沿岸から伸びる浅い陸棚で,

>東シナ海大陸棚とも呼ばれ,一般に起伏に乏しく平坦です.

>五島列島から尖閣列島を結ぶ線が大陸棚縁辺部で,

>その水深は約140~160mほどです.

>この縁辺部は地質構造的に五島・尖閣隆起帯

>(台湾-宍道褶曲帯:Emery and Niino, 1967)

>と呼ばれ(加賀美ほか, 1971; 相場・関谷, 1979),

>東海大陸棚はこの内側に第三紀,第四紀の堆積物が

>充填して形成されたものであると考えられています.

 

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(注8) (台湾) 國立自然科學博物館・ホームページ・「自然與人文數位博物館」の「台灣之火山活動與火成岩」の「北方三島彭佳嶼、棉花嶼、花瓶嶼的岩石

http://digimuse.nmns.edu.tw/Default.aspx?tabid=369&ObjectId=0b00000181da5457&Domin=g&Field=ri&ContentType=Exhibit&Language=CHI&FieldName=

 

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(注9-1) 産総研地質調査総合センターのホームページ・「日本の火山」・「久場島」参照。

https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/L20.html

 

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(注9-2) 産総研地質調査総合センターのホームページ・「日本の火山」・「大正島」参照。

https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/L19.html

 

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(注10) wikipedia「第四紀」参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/第四紀

 

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(注11) (台湾) 國立自然科學博物館ホームページ・「火山教室」の「草嶺山」参照。

http://web2.nmns.edu.tw/89volcano/out-214.htm

 

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(注12) 産総研地質調査総合センターのホームページ・「日本の火山」・「第四紀火山」参照。

https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/index.html

 

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(注13) 下記の[ 指南針與古代航海 ]サイト記事によれば、宋朝中国時代に70丈あまりの測深技術があったらしい (ただし、原典不明) 。

http://hk.chiculture.net/0802/html/a08/0802a08.html

宋朝已可以測定水深七十多丈了。

 

宋の時代の「丈」は下記の山田崇仁氏の[ 睡人亭 ]サイトの[ 中国学用単位系の換算 ]によれば約3.12mだそうである。

http://www.shuiren.org/chuden/toyoshi/doryoukou/du.htm

 

よって、明の時代には大陸棚より深い水深250m程度の測深は可能だったと思われる。ちなみにポルトガルのマゼランは16世紀前半に700m程度の測深索を使用する事もあった(注15)そうである。

 

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(注14) 下記の中村工業株式会社のワイヤーロープの総合サイト [ ロープファクトリー ] の [ ワイヤロープの歴史 ] 参照。

http://www.rope.co.jp/lecture/history.html

 

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(注15) 下記の財団法人日本水路協会 海洋情報研究センターのサイトの記事 [ 海洋調査の歴史 ] 参照。

http://www.mirc.jha.or.jp/knowledge/survey/history.html#intl

>1874年  タスカロラ号(米) ピアノ線を使用した深海測深で千島列島ウルップ島南東に8,514mの海淵を発見。

 

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