サンフランシスコ講和条約と尖閣諸島領有問題

 

   日本政府は尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) 領有問題において、サンフランシスコ講和条約を尖閣諸島領有の根拠の一つとしている (注1)

   中国政府(北京政府)は、尖閣諸島領有問題へのサンフランシスコ講和条約の適用に関して次の二つの主張をしている (注2)。第一の主張は、サンフランシスコ講和会議には中国代表は招かれず中国は締約国でないためサンフランシスコ講和条約に拘束されない旨の主張である。第二の主張は、尖閣諸島がサンフランシスコ講和条約・第二条で日本が放棄した「台湾」に含まれると解釈すべきで、アメリカによる信託統治を目指していた第三条の範囲に含まれない旨の主張である。

   上記の二つの論点を以下において考察する。

   国家は締約していない条約には原則としては拘束されないが、二つの例外がある。第一の例外は、条約を締約していない国家がその条約を容認または黙認した場合である。第二の例外は、多数国間条約の場合にその一部または全部またはその重要概念が慣習国際法になったり国際認識・国際標準・国際慣行として国際的に確立した場合、その一部または全部またはその重要概念に拘束される場合である。特に、講和条約の場合、戦争という好ましからざる事態終了のため、戦争の終結という点に関しては他の同盟国に実質的に委任していたとみなされる場合もありうる。

   まず、中国がサンフランシスコ講和条約を容認または黙認したか否かを考察する。北京政府(中国共産党政府)は当初から抗議し無効との態度を表明していたが (注3)、台北政府(中国国民党政府)は抗議せずサンフランシスコ講和条約の一部分を日華平和条約で引用したので引用した第二条・第十条は積極的に承認した事になり他の部分も黙認した事になる。問題は、日華平和条約締結時点で台北政府(中国国民党政府)に中国を代表する権限があったか否かという事と、日本政府による中国正統政府変更後に遡及的に無効になったか否かである。

   国民党政府 (台北政府) は1928年から1949年までは中国本土において中国を代表する唯一の合法的政府であった事については北京政府も異存は無いと考えられる。問題は第二次世界大戦後の内戦に敗れて1949年に中国本土の実効支配を失いサンフランシスコ講和会議に招かれなかった事である。一般論として過去の正統政府が一時的に本土の実効支配を失って亡命政府状態になっても後に本土の実効支配を回復すれば亡命政府時代も正統政府と認定しうるが、台湾に逃れた国民党政府は台湾住民とも対立し中国本土の実効支配を回復する見込みは低かった。サンフランシスコ講和会議に招かれなかった事も考慮すれば日本との講和についての代表権には疑問がある。尚、国民党政府 (台北政府) は台湾省を実効支配しているが下関条約で割譲された「台湾全島および附属島嶼」は自然地理学的に定められた事及び非正統政府の代表権範囲は実効支配部分に限定される事から台湾省の実効支配を以っても尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) の処分権が台湾に亡命した国民党政府 (台北政府) にあったとは言えない。しかし、それらの疑問点を考慮しても国民党政府がアルバニア案決議 (第2758号国連総会決議) によって国連から追放された1971年10月25日までは講和の相手方となりえたと国際法廷の中立公正で優秀な裁判官によっても判定される可能性は完全には排除できない。国民党軍も対日戦争の当事者だったからであり、日華平和条約締結においては過去に日本亡命中の孫文がしたような万里の長城以北の領土放棄のような売国行為がないからである (別記事・[ 日本政府が統治能力に欠ける孫文を使って清朝滅亡させた疑い ]参照)。尚、台北政府と日本が締結した日華平和条約がサンフランシスコ講和条約・第三条を黙認していた事によって拘束されるか否か厳密な議論をしても尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) 領有問題において意味が無い。なぜなら、万が一、もし仮にサンフランシスコ講和条約・第三条の領域に尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) が含まれるならば、中国は日華平和条約における黙認は勘違い (錯誤) だったとして黙認の無効を主張して訂正できるからである。(しかし、後述のように国際法廷で公正中立で優秀な裁判官が判定すれば尖閣諸島は第三条の領域でなく第二条の日本が放棄した「台湾」に含まれる事になるので錯誤無効の主張は不要である。)

   尚、サンフランシスコ講和条約は多数国間条約であり、その根幹部分である戦争状態の終結という点は国際的に受け入れられてはいるものの、細部にまで締約国以外に国際合意が確立しているとは言えない。そして、その事に関して日本に責任があるのである。まず、千島列島放棄を定めた第二条c項は旧ソ連が調印拒否したためロシアに適用が無いと日本政府は対世効を無視した主張しており (注4)、日本政府みずからサンフランシスコ講和条約の国際合意を壊している。さらに、重要な事は、サンフランシスコ講和条約交渉において日本がサンフランシスコ講和条約原案作成で主導的立場のアメリカに緯度経度表示や地図の添付に反対した (注5)。この事により「千島列島」に南千島の国後島・択捉島は含まれないと日本政府は屁理屈を捏ねており、「リアンクール岩 (日本名:竹島、韓国名:独島)」の帰属も不明確になり、韓国との間でも合意が無い。すなわち、サンフランシスコ講和条約は細部において北京政府以外の異論や独自解釈が存在するのが実情であり、その原因は日本にある。そのため、サンフランシスコ講和条約の領土に関する規定の細部について日本は主観的主張をする権利を有しないし、サンフランシスコ講和条約署名後に公布された琉球政府章典・第一条の緯度経度表示を尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) 領有問題において援用する権利を有しない。ちなみに日本は下関条約にも台湾および附属島嶼の地図を添付せず緯度経度表示もせず、中国側の島名目録提供の申し出も拒否しており、細部が不明確な責任は日本にある。

   逆に、日本はサンフランシスコ講和条約を締約しており、領土放棄宣言部分については対世効があるため非締約国の中国に対しても日本はサンフランシスコ講和条約の客観的解釈に拘束される。そして、サンフランシスコ講和条約・第三条はサンフランシスコ講和条約作成で主導的立場にあったアメリカの委任統治領になる予定だった領域を規定するため詳細に規定されていたため尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) に言及されてない事はサンフランシスコ講和条約・第三条の領域に含まれない事を意味し (別記事・[ サンフランシスコ講和条約・第三条は詳細に規定されている ]参照)、日本がサンフランシスコ講和条約・第二条(b)で放棄した「台湾」に含まれると考えられ、それは締約国でない中国に対しても対世効により拘束される。


目次

2018年4月7日

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ サンフランシスコ講和条約と尖閣諸島領有問題   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 日本の外務省のホームページの [ 尖閣諸島情勢に関するQ&A ] 参照。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#q2

 

(注2) 中華人民共和国新潟総領事館ホームページ記事・[ 「サンフランシスコ講和条約」のどこが証拠とするに足るのか? ] 参照。

http://niigata.chineseconsulate.org/chn/zt/dydwt/t981139.htm

 

(注3) 日本経済新聞ホームページ記事・『中国が周恩来外相声明でソ連に同調』参照。

https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0802N_Q2A510C1000000/

 

(注4) 日本外務省のホームページの [ 北方領土問題に関するQ&A ] 参照。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/mondai_qa.html#q2

なお、1951年のサンフランシスコ平和条約で我が国が千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しましたが、

>そもそも北方四島は千島列島には含まれていません。

>また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約への署名を拒否しました。

 

(注5) アメリカの信託統治領になる予定の第三条以外の領土に関する規定が大雑把だったのは、日本がサンフランシスコ講和条約作成で主導的立場にあったアメリカに、日本国民の領土喪失感を口実にサンフランシスコ講和条約に緯度経度表示や地図の添付を避けるよう要請した事が大きな原因の一つである。『日本外交文書・サンフランシスコ平和条約・対米交渉』 中の第77項目・[ 英国の平和条約案に対するわが方の逐条的見解について ]・p.397参照。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/sf2_05.pdf

   ちなみに、日本は日清戦争の講和条約である下関条約でも「台湾および付属島嶼」の範囲を緯度経度表示せず地図も添付せず、台湾引渡し時には中国側の台湾付属島嶼目録提供の申し出も拒否し、清朝中国中央政府が領有放棄し実効支配していなかった紅頭嶼 (蘭嶼) も台湾付属島嶼として清朝中国から割譲を受けた事にしていた (別記事・[ 水野遵・公使の台湾附属島嶼の目録拒否 ]参照)。