(注意):下記の考察では、サンフランシスコ講和条約の条文は下記urlの日本外務省ホームページの二つのPDFにおける条文のうち、正文である英文を解釈の前提とした。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-795_1.pdf
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-795_2.pdf
サンフランシスコ講和条約・第三条は詳細に規定されている
サンフランシスコ講和条約ではポツダム宣言・第八項の規定 (注1) にかかわらず日本領の範囲は直接には示されず、佐渡島のように面積の大きな有人島の帰属も直接には示されていない。しかも第二条で定められた日本が放棄する領土・地域の指定も大雑把で、「台湾」の蘭嶼島や緑島のように面積の大きな有人島も示されず、「千島列島」に色丹諸島や歯舞諸島が含まれるか否かも示されていない。面積が小さい無人島ながら日韓の対立が明白なリアンクール岩 (日本名「竹島」・韓国名「独島」) についても帰属が明示されていない。
しかし、サンフランシスコ講和条約・第三条はサンフランシスコ講和条約作成で主導的立場にたったアメリカの直接の利害関係があったためか詳細に規定され、尖閣諸島の魚釣島 (釣魚嶼) より面積も小さく標高も低い当時の西之島 (Rosario Island) (注2) や沖の鳥島 (Parece Vela) や南鳥島 (Marcus Island) が示されている。
しかも、サンフランシスコ講和条約・第三条・英語正文では"Nanpo Islands"ではなく"Nanpo Shoto"として日本語の定義によるように表示しながら、水路誌の配列・目次では便宜的ではあるものの一応は南方諸島に含まれる (注3) 沖ノ鳥島 (Parece Vela) や南鳥島 (Marcus Island) を他の南方諸島の島とは自然地理学的に別個の諸島である事を考慮して"Nanpo Shoto"と別個に表記している。
一方、サンフランシスコ講和会議当時の水路誌 (注4-1) (注4-2) の尖閣諸島の項目「赤尾嶼 及 尖頭諸嶼」では「南西諸島」とは別個の諸島である事を前提として解説されているし、副タイトルでも別個に記載されている。ただし、主タイトルや配列・目次では便宜的に尖閣諸島の項目「赤尾嶼 及 尖頭諸嶼」が「南西諸島」に含まれている。
背理法的に考えると、沖の鳥島 (Parece Vela) や南鳥島 (Marcus Island) と同様の基準からすれば、もし仮に尖閣諸島がサンフランシスコ講和条約・第三条の対象の島ならば明記されているはずである。面積も沖の鳥島 (Parece Vela) や南鳥島 (Marcus Island) より大きく標高も高く、自然地理学的にも狭義の南西諸島 (Nansei Shoto) と異なり歴史的にも琉球王国の版図の島とは異なるからだ。ところが明記されていない。よって、第二条の台湾に属すると解釈すべきなのである。第二条は大雑把にしか記述されておらず、面積の大きな有人島の蘭嶼島や緑島ですら省略されているのでサンフランシスコ講和会議当時は無人島だった尖閣諸島が第二条の「台湾」に含まれて省略されたと解すると納得がいく。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-795_1.pdf
付記:
アメリカの信託統治領になる予定の第三条以外の領土に関する規定が大雑把だったのは、日本がサンフランシスコ講和条約作成で主導的立場にあったアメリカに、日本国民の領土喪失感を口実にサンフランシスコ講和条約に緯度経度表示や地図の添付を避けるよう要請した事が大きな原因の一つである。『日本外交文書・サンフランシスコ平和条約・対米交渉』 中の第77項目・[ 英国の平和条約案に対するわが方の逐条的見解について ]・p.397参照。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/sf2_05.pdf
日本は日清戦争の講和条約である下関条約でも「台湾および付属島嶼」の範囲を緯度経度表示せず地図も添付せず、台湾引渡し時には中国側の台湾付属島嶼目録提供の申し出も拒否し、清朝中国中央政府が領有放棄し実効支配していなかった紅頭嶼 (蘭嶼) も台湾付属島嶼として清朝中国から割譲を受けた事にしていた (別記事・[ 水野遵・公使の台湾附属島嶼の目録拒否 ]参照)。
2018年4月4日 (2018年2月7日・当初版は こちら 。)
御意見・御批判は対応ブログ記事・[ サンフランシスコ講和条約・第三条は詳細に規定されている 浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。(注1) ポツダム宣言・第八項後半には「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」とある。
下記urlの国会図書館資料参照。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
(注2) 西ノ島はサンフランシスコ講和会議後の噴火によって面積が大幅に増加した。
(注3) 海上保安庁発行の『本州南東岸水路誌』(書誌第101号・昭和24年6月刊行) の目次およびp.281, p.331-333参照。
これは国会図書館デジタル化資料になっており多くの公立図書館の端末で閲覧できる。
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001016027-00
(注4-1) 旧・日本海軍水路部作成 『臺灣南西諸島水路誌』(書誌第5號・昭和16年3月刊行) のp.134・135の「赤尾嶼 及 尖頭諸嶼」項目では以下のように南西諸島とは別個の諸島である事を前提として解説されている。
>南西諸島西端部ノ北側ニ於テ南西諸島ノ列線ト並行ニ之ト離レテ存在スル小嶼
>及其ノ集団ニシテ、赤尾嶼ハ単独ヲ以テ宮古列島ノ北方ニ、尖頭諸嶼ハ群集シ
>テ八重山列島ノ北方ニ在リ。
ただし、配列・目次では便宜的に尖閣諸島の項目「赤尾嶼 及 尖頭諸嶼」が「南西諸島」に含められている。
(注4-2) 簡易水路誌『南西諸島』(書誌第1005號・昭和22年刊行) のp.82 における「赤尾嶼 及 尖頭諸嶼」項目では以下のように南西諸島とは別個の諸島である事を前提として解説されている。
ただし、配列・目次では便宜的に尖閣諸島の項目「赤尾嶼 及 尖頭諸嶼」が「南西諸島」に含められている。