(注意)これは、閲覧用ではありません。これは、過去記事保存資料用です。最新版を御覧ください。
理系の方へ
日本の公的サイトと公的資料のみで日本政府の尖閣諸島日本領論の虚構の一部がわかる事を以下に示します。
2010年、グーグルマップが尖閣諸島の島名に中国名を併記していた事に気付いた日本政府と(当時は野党だった)自民党はグーグール社に訂正要求しました (注1)。これは日本国憲法・21条で保障された「表現の自由」 (注2) を無視したヒステリックな対応です。
実は、旧・日本海軍は日清戦争終結まで現在の尖閣諸島の島名を英語名のカタカナ表記し、日清戦争終結で台湾の割譲を受けてからは中国名表記に変更したのです。
正確を期すため、詳しく述べますと、旧・日本海軍の水路部 (注3-1) (注3-2) 作成の水路誌 (注4) は日清戦争終結前は尖閣諸島海域の情報を英国の水路誌に頼っていたため (注5) (注6) 英語名のカタカナ表記 (注7) (注8) でした。ところが、日清戦争終結後に尖閣諸島海域について最初に発行された水路誌『日本水路誌 第2卷 附録』 (明治29年刊行) では表記が中国名に変更されたのです (別記事・[ 日清戦争後の水路誌で中国名に変更した日本海軍 ]参照)。ただし、その後、明治41年に、「釣魚嶼」については中国語と日本語の文法の語順の違いから不自然と感じたのか「魚釣島」に名称変更しましたが、「赤尾嶼」(大正島)・「黄尾嶼」(久場島)については中国名のままでした (注9)。尚、国土地理院の前身の旧・日本陸軍の陸地測量部作成の地図でも「黄尾嶼」は中国名のみ表記で「赤尾嶼」は日本名の「大正島」も併記されていたものの中国名の「赤尾嶼」が優先され、沖縄県と鹿児島県の間には境界線が存在したのに沖縄県と台湾の間には境界線が存在しませんでした (別記事・[ 5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』(昭和8年発行)は尖閣諸島が台湾の附属島嶼である事を示す ]参照)。
それだけではありません、日清講和条約 (下関条約) には割譲対象だった台湾の地図が添付されておらず (別記事・[ 下関条約調印書に台湾の地図が添付されてなかった ]参照) 割譲対象だった「台湾の附属島嶼」の範囲が不明でしたが、『』では尖閣諸島を「台湾北東ノ諸島」としており日清講和条約 (下関条約) の割譲対象だった「台湾の附属島嶼」である事がわかるのです。「台湾の附属島嶼」は第二次世界大戦後に日本は中国に返還せねばなりません。さらに、第二次世界大戦終結までに日本が無主地先占した大東島や竹島島は水路誌に編入・管轄の記述があるのに尖閣諸島については編入・管轄の記述が存在しないのです (別記事・[ 旧・海軍作成の水路誌に尖閣諸島だけ所轄も編入も記載無し ]参照)。
2019年8月25日
御意見・御批判は対応ブログ記事・[ ] でコメントしてください。(注1) 下記urlのJ-CASTニュース記事・[ グーグルは尖閣の中国名併記 自民、訂正申し入れ ] 参照。
https://www.j-cast.com/2010/10/14078220.html
(注2) 下記urlの衆議院ホームページ・[ 日本国憲法 ] 参照。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm
>第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(注3-1) 国立公文書館の [ アジ歴グロッサリー ] の [ 水路部 ] 参照。
https://www.jacar.go.jp/glossary/term3/0010-0080-0110-0160.html
>水路部は水路の測量、海図の製作、水路誌の編纂、気象や海象の観測など、航海の保安に関することを担った海軍の組織。
>・・・・・(中略)・・・・・
>1945年(昭和20)11月、海軍省の解体と共に水路事業は運輸省に移管されて運輸省水路部となり、
>海上保安庁発足と同時に同庁へ移管された。
(注3-2) 下記urlの海上保安庁の海洋情報部 (第二次世界大戦後に旧・日本海軍の水路部の業務を引き継いだ組織) のホームページの記事・[ 海洋情報部のあゆみ(沿革) ]参照。
https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KIKAKU/jhd_history.html
(注4) 「水路誌」とはいかなる書籍であるかについては、下記urlの国会図書館ホームページの記事・[ 水路書誌 ]参照。
https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-888.php
>水路誌はいわば航海の案内書・手引書です。
>海図と併用することで、航海の安全に役立てる目的で作られています。
>航海を行う予定の海域に関する様々な情報(気象、海象、航路状況、沿岸地形、港湾に関する情報等)が掲載されています。
(注5) 『支那海水路誌 第2巻 (明治25年刊行)』の「凡例」に寰瀛水路誌第三巻・第四巻と英版支那海水路誌第三巻追補を参考にした旨の記述があり、また、『寰瀛水路誌第三巻』の「緒言」には英版水路誌を基にした旨の記述がある。尚、『寰瀛水路誌第四巻』には「緒言」が無いが同様に英国の水路誌を参考にしたと考えられる。
下記urlの[ 国立国会図書館デジタルコレクション ] の『支那海水路誌 第2巻 (明治25年刊行)』参照。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10304319
下記urlの[ 国立国会図書館デジタルコレクション ] の『寰瀛水路誌第三巻』参照。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1084071
(注6) 『日本水路誌 第2巻 (明治27年刊行)』の「日本水路誌巻二序」に1884年改正 英国水路部編纂 支那海水路誌第四巻を参考にした旨の記述がある。
下記urlの[ 国立国会図書館デジタルコレクション ] の『日本水路誌 第2巻 (明治27年刊行)』参照。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/847180
(注7) 下記urlの[ 国立国会図書館デジタルコレクション ] の『支那海水路誌 第2巻 (明治25年刊行)』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10304319
のうち、p.554-555 の「ホアピンス島(Hoa-pin-su)」と p.556-557 の「チアウス島(Ti-a-usu)」・「ラレー岩(Raleigh rock)」参照。
尚、緯度・経度による比定 (同定) については別記事・[ 公的資料から中国名と英語名を確認する方法 ]参照。
(注8) 下記urlの[ 国立国会図書館デジタルコレクション ] の『日本水路誌 第2巻 (明治27年刊行)』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/847180
のうち、p.345 の「ラレー岩」・「ホアピンス島」と p.346 の「チアウス島」参照。
尚、緯度・経度による比定 (同定) については別記事・[ 公的資料から中国名と英語名を確認する方法 ]参照。
(注9) 下記urlの[ 国立国会図書館デジタルコレクション ] の『日本水路誌 第2巻下 (明治41年刊行)』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10304288
のうち、p.142-143 参照。