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歴史学者・井上清氏の国際法上の重大な誤り

 

   尖閣諸島領有問題で日本における数少ない中国領論者の井上清・元・京都大学教授の『 「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明 』 (注1) は日本領論者から批判の的にされ続けた。しかし、日本領論者が日本領論にとって有利なので批判しない国際法上の重大な誤りが二点存在する。それは井上清・元・京都大学教授が歴史学者であって国際法に疎かった事に起因する誤りと思われる。

   まず、第一点は、絶海の無人島の場合には沖合いの船上からの実効的先占を認めたクリッパートン島事件判決の無知から、『 「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明 』の第六章・[ 「無主地先占の法理」を反駁する  ]において国際法の先占の法理を批判している事である。井上清・元・京都大学教授の主張の実質的な趣旨は無人島に関しては傾聴に値する内容であっても読者に清朝中国が尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) を実効支配してなかったとの誤解を与える。実はクリッパートン島事件判決により冊封船や進貢船 (朝貢船) の船上からの実効支配が認められるのである (別記事・[ クリッパートン島事件は洋上からの無人島の実効的先占を認める ]参照)。

   第二点は、  尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) が下関条約の割譲対象である「台湾の附属島嶼」でないとの前提で、『 「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明 』の第十二章・[ 日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った ]において、「釣魚諸島は、台湾のように講和条約によって公然と清国から強奪したものではないが、戦勝に乗じて、いかなる条約にも交渉にもよらず、窃かに清国から盗み取ることにしたものである。」も下関条約が割譲対象を「台湾全島 及び その附属諸島嶼」とし「台湾省」に限定していない事 (別記事・[ 下関条約は割譲対象の「台湾全島及其ノ附属諸島嶼」を「台湾省」と区別 ]参照) から尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) を含んでいる事を看過する重大な誤りを犯している。さらに、海軍の「水路部」(現在の海上保安庁海洋情報部の前身) 作成の水路誌や陸軍の「陸地測量部」 (現在の国土地理院の前身) 作成の地図も割譲を前提としており (別記事・[ 陸軍作成地図も海軍作成水路誌も割譲を示す ]参照)、尖閣諸島が下関条約で割譲された事は公式に認めていた。

   尚、細かい事であるが、井上清・元・京都大学教授は林子平による『三国通覧図説』付図「琉球三省并三十六島之図」の色分けを論拠にされている (注1)。しかし、『三国通覧図説』付図「琉球三省并三十六島之図」には緯線や北回帰線が付されているが、林子平は清朝中国の冊封副使・徐葆光著『中山伝信録』を参考文献としながら (注2)、徐葆光著『中山伝信録』による首里城の緯度の誤差が現代の測定と比しても0.1度未満なのに、首里城の緯度を1度以上違えている (注3-1) (注3-2) (注3-3)。しかも、林子平は『三国通覧図説』の出版当時は私人 (注4-1) であり、しかも発禁処分にされており (注4-2)、国際法上の根拠としての価値が低い。不正確で発禁処分になった私人の地図など国際法上の根拠としての価値は無い。


付記

    井上清・元・京都大学教授の『 「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明 』 は通常の国際法では尖閣諸島が日本領になるかのごとき印象を与えるもので、私も当初は国際司法裁判所では「国際司法裁判所規程」第38条2項による「衡平と善」に基づいて裁判する特別な付託に日本が合意しなければ中国は勝訴不能かもしれないと考えたくらいである。後に、本件の場合、「国際司法裁判所規程」第38条2項による特別な付託合意抜きに「衡平と善」に基づいて裁判可能である事にも気付いた (別記事・[ 日本の合意がなくとも「衡平と善」によって判決可能 ]参照) だけでなく、「衡平と善」に依拠せずとも中国が完全勝利できる事に気付いたのであるが、井上清・元・京都大学教授の『 「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明 』によって私も当初は誤った先入観念を植えつけられたのである。


目次

2018年12月20日 (2018年12月3日・当初版は こちら。 )

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 歴史学者・井上清氏の国際法上の重大な誤り   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 井上清 著・『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』 (現代評論社・1972年発行及び第三書館・1996年再刊) 参照。

尚、下記urlでインターネット上に転載されている。

http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

 

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(注2) 林子平 著 『三国通覧図説』中の下記urlの早稲田大学図書館公開画像参照。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru03/ru03_01547/ru03_01547_0001/ru03_01547_0001_p0005.jpg

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru03/ru03_01547/ru03_01547_0001/ru03_01547_0001_p0015.jpg

 

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(注3-1) 徐葆光著・『中山伝信録』・巻四・「星野」 (早稲田大学図書館公開画像) 参照。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0123/bunko08_c0123_0004/bunko08_c0123_0004_p0003.jpg

>琉球北極出地二十六度二分三釐

 

この記述の解釈は (注3-2) 参照。

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(注3-2) 瀬名波 任 著 『球陽に見られる地学関係の記述について』・沖縄県立博物館紀要 第21号・p.73 参照。

https://okimu.jp/userfiles/files/page/museum/issue/bulletin/kiyou21/kiyou21.pdf

 

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(注3-3) 首里城の緯度についてはGoogle-map参照。

Google-mapでは首里城の緯度は北緯26.217083度なので四捨五入による近似値で徐葆光著・『中山伝信録』・巻四・「星野」流の表記をすれば「琉球北極出地二十六度二分二釐」となり、徐葆光著・『中山伝信録』・巻四・「星野」の首里城の緯度の誤差は0.01度程度で、18世紀前半当時の緯度の測定としては非常に優秀である事がわかる。

 

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(注4-1) wikipedia「林子平」(2018年10月21日版) 参照。

 

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(注4-2)  wikipedia「三国通覧図説」(2018年10月21日版) 参照。

 

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