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原田禹雄氏の陳侃使録利用の揚げ足取り

 

   原田禹雄氏は井上清氏の著書・『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明(注1) 中の文章の「したがって琉球人のこの(尖閣)列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった。」という文章を批判する際に、冊封使録日本語訳者で京都出身の原田禹雄氏が冊封使の陳侃 (ちんかん) が著した『使琉球錄』に、「福建の人々は、 (那覇への) 航路をそらんじていないので」、 琉球王国が冊封使船に同乗する水先案内をする看針通事 (通訳兼航海士) を派遣してくれた事を喜んだ旨の記述の存在をもって、「井上は完全に逆のことを書いていることがわかる。」と、あたかも琉球人が航路を開拓し尖閣諸島を最初に発見したかのごとき誤解を招く表現をしており (注2) 、沖縄県民の中には誤解をされた人もおられるでしょう。しかし、これは最初の進貢船が明王朝から贈られ、航海技術者や造船技術者も明朝中国から派遣された歴史的事実を隠した誤解を招く揚げ足取りなのです。さらに、考古学的には中国銭の出土によって唐王朝以前から沖縄本島や久米島に中国民間船が来て交易していた事が推測され、石垣島等の八重山諸島でも10世紀末までに中国民間船が来て交易していた事が推測されています。当然、10世紀末までに中国の民間船が釣魚嶼 (魚釣島) を発見していたはずです。 更に、琉球の鉄器文化は中国の民間交易船がもたらした鉄によって始まったと考えられます。 (別記事・ [ 沖縄県下の遺跡からの中国銭出土は中国民間交易船による釣魚島発見を示唆する ] 参照。)

  明の『太祖高皇帝實錄卷之一百七十』や『鄭開陽雜著』·卷七には、明朝初代皇帝の洪武帝は朝貢のための渡海能力のなかった琉球に海船を下賜し、航海技術者・造船技術者を派遣した事が書かれており、その事は、冊封使録でも、冊封副使・徐葆光の中山傳信録・巻六・「舟」の項目には明朝中国から琉球に海舟が下賜された事が言及され、冊封使・陳侃の『使琉球錄』の「陳侃等謹題為出使海外事」において (琉球の文明開化のため) 閩人三十六姓が派遣された事が記載されているので、冊封使録翻訳者の原田禹雄氏も知っていたはずです。この事は中国側の文書だけでなく琉球側の文書である『球陽』(巻之一)や『中山世譜』(巻三)にもあります。考古学的推測だけでなく、中国・琉球双方の複数の文書からも琉球の中国への初期の進貢船 (朝貢船) と航海技術は明朝初代皇帝の洪武帝から与えられた事が確認できるのです。 (注3)

  尖閣諸島日本領論者の多くによる尖閣諸島を発見したのは琉球人だったとの主張は歴史や考古学を無視した主張なのです。御注意ください。 (別記事 [ 明治以前に琉球の漁民が尖閣諸島で漁をしてなかったと考えられる理由 ] ・ [ 釣魚嶼 (魚釣島) 発見者は中国人と考えられる ] 参照。)

     尚、井上清氏の「したがって琉球人のこの(尖閣)列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった。」という文が明朝中国初代皇帝の洪武帝の朝貢の招諭より前には琉球人は(尖閣)列島に関する知識がなかったという意味ならおそらく正しいですし、冊封使・陳侃の冊封航行についても琉球側から冊封船に看針通事や夥長という水先案内人・航海士が派遣されていたものの看針通事や夥長が洪武帝が琉球に航海技術指導で派遣した閩人 (福建省人) の子孫が通訳や航海士を世襲した可能性が高いので、正しい可能性が高いでしょう。しかし、陳侃の帰国後に明王朝・第12代皇帝世宗が嘉靖二十六年 十二月辛亥 (西暦1548年1月14日) に琉球に派遣された閩人 (福建省人) の子孫の二重国籍を禁じた (注4-1) (注4-2) ので、以後は、たとえ閩人の子孫であっても琉球に派遣された者の子孫は中国籍はなく琉球籍のみになった可能性が高い (注5) ので、井上清氏の「したがって琉球人のこの列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった。」という文章は嘉靖二十六年 十二月辛亥 (西暦1548年1月14日) 以降については誤っています。


目次

2016年12月12日 (2016年9月3日・当初版は こちら 。)

御意見・御批判は対応ブログ記事・ [ 釣魚嶼 (魚釣島) 発見者は中国人と考えられる ] にコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 井上清 著・『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』は、1972年10月現代評論社から出版され、その後、1996年10月10日第三書館から上記と同じ書名で再刊された。

内容は、巽良生 氏による下記サイトの転載記事参照。

http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

 

(注2) 原田禹雄 著 『尖閣諸島は誰のものか』 榕樹書林 ( 2006年1月17日発行 ) p.29-p.31参照。

 

(注3) 『中世南島通交貿易の研究』・小葉田淳著・刀江書院・昭和43年9月30日発行 参照。

 

(注4-1) いしゐのぞむ 著『尖閣反駁マニュアル百題』 (集広社・平成26年6月7日) p.293-294 参照。

>三十六姓は皇帝から琉球國に下賜されて琉球人となった以上、明國では戸籍財産 (主に不動産) を持ってはならないと、皇帝自身がわざわざ述べた記録である。

 

(注4-2) 大明世宗肅皇帝實錄卷三百三十一 (嘉靖二十六年十二月辛亥) ・

(中國哲學書電子化計劃) 参照。

http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=942082

>上曰陳賦無罪給賞如例蔡廷會交結朝臣法當重治念屬貢使姑革賞示罰蔡璟既永樂中從夷何得於中國置產立籍

 

(注5) 皇帝が二重国籍を禁じても琉球に派遣された閩人 (福建省人) が中国人意識を持ち続ける可能性がある。中国人は祖先の墓のある祖籍を大切にするからである。それゆえ、二重国籍を禁じた皇帝が死去して代替わりすれば、明王朝自体も琉球に派遣した閩人の中国籍を黙認した可能性もある。

ちなみに、ペルーのフジモリ・元・大統領も日本の国籍法に違背して日本国籍を隠し持っていたくらいであり、その日本の国籍法違背の日本国籍保有ゆえに日本への亡命を認めたのである。(別記事・ [ フジモリ氏の日本国籍と日本政府のトリック ] )

尚、日本の民進党代表で日本の国会議員の蓮舫氏が最近まで中華民国籍を保有していたのは、中華民国の国籍法・第11条 (行政書士OFFICE LEEのサイトの中華民国の国籍法・第11条の日本語訳参照) が父親が中華民国籍の場合は外国人と結婚しない限りは中華民国籍が離脱できないという非現代的規定がある事と、日本の国籍法に欠陥があったため、22歳を越えて結婚された蓮舫氏の場合は中華民国籍を離脱してなくとも違法ではなかった。ただ、その事を説明できなかった事は蓮舫氏にも国会議員としての能力に問題があったと思われる。