(注意)これは、閲覧用ではありません。これは、過去記事保存資料用です。最新版を御覧ください


原田禹雄氏の陳侃使録悪用の詭弁 

 

 

   冊封使録日本語訳者で京都出身の原田禹雄氏が冊封使の陳侃 (ちんかん) が著した『使琉球錄』に、「福建の人々は、 (那覇への) 航路をそらんじていないので」、 琉球王国が冊封使船に同乗する水先案内をする看針通事 (通訳兼航海士) を派遣してくれた事を喜んだ旨の記述の存在をもって、あたかも琉球人が航路を開拓し尖閣諸島を最初に発見したかのごとき誤解を招く表現をしており (注) 、沖縄県民の中には誤解をされた人もおられるでしょう。しかし、これは最初の進貢船が明王朝から贈られ、航海技術者や造船技術者も明朝中国から派遣された歴史的事実を隠した詭弁なのです。さらに、考古学的には中国銭の出土によって唐王朝以前から沖縄本島や久米島に中国民間船が来て交易していた事が推測され、石垣島等の八重山諸島でも10世紀末までに中国民間船が来て交易していた事が推測されています。当然、10世紀末までに中国の民間船が釣魚嶼 (魚釣島) を発見していたはずです。 (別記事・ [ 沖縄県下の遺跡からの中国銭出土は中国民間交易船による釣魚島発見を示唆する ] 参照。) 尖閣諸島日本領論者の多くによる尖閣諸島を発見したのは琉球人だったとの主張は歴史や考古学を無視した主張なのです。御注意ください。


(注) 原田禹雄 著 『尖閣諸島は誰のものか』 榕樹書林 ( 2006年1月17日発行 ) p.29-p.31参照。


目次

2016年9月3日

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp