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 沖縄県下の遺跡からの中国銭出土は中国民間交易船による釣魚嶼の発見を示唆する

 

 

  沖縄県下各地の遺跡から、中国の唐代より前の貨幣である五銖銭が沖縄本島のみならず久米島でも出土 (注1) しています。この事は唐王朝成立前から中国の民間交易船が沖縄本島や久米島に来ていた証拠と考えられます。 また、7世紀前半から10世紀半ばまで流通したとされる唐銭「開元通宝」が沖縄本島のみならず石垣島等の八重山諸島から出土しました (注2) (注3)。この事は10世紀末までに中国の民間交易船が石垣島等の八重山諸島にも来ていた来ていた証拠と考えられます。

  また、釣魚嶼(魚釣島)の最高地点の標高は362mなので、波の穏やかな晴天の日中には約65kmの距離の船上から発見しえたと考えられます (注4)。 そのため、中国の民間交易船は10世紀末までに釣魚嶼を発見した可能性が非常に高いと考えられます。ただし、民間人の発見のみでは無主地先占はできません。民間人が発見した場合は国家の追認があって初めて国家による無主地先占が成立するのです。 しかし、明王朝時代に冊封使の記録である『使琉球録』に「釣魚嶼」と記載された時点で中国の国家による発見または中国民間人の発見の追認となり中国による無主地先占が成立しました。

  尚、考古学的には中国の民間船との交易によって沖縄の鉄器文化が始まったと考えられています (注5)


目次

2016年8月29日

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浅見真規 ( vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp )


(注1) 同志社大学歴史資料館サイト記事・『朝鮮半島と琉球諸島における銭貨流通と出土銭』( 門田誠一 著 )

http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/research/report/report2000/senka/senka.pdf

>近年、琉球諸島においては五銖銭の出土遺跡数や出土数が増加しており、

>また久米島では一島で複数の遺跡から相当数の五銖銭が出土していることから、

>南島出土の五銖銭に対しては、従来のように北部九州を経由してもたらされたとみるよりは、

>中国大陸ないしはその媒介者との直接の交渉によってもたらされた蓋然性が示唆されるにいたっている。

 

(注2) 石垣市のホームページの記事『八重山諸島の考古学 (連載5) 』参照。

http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/400000/410000/410400/bunkazai/yaeyamakouko/yaeyamakouko005.pdf

ビロースク遺跡からは、9種類の銭貨が見つかっています。

>中国唐時代の開元通宝をはじめ、主に北宋時代の銭貨が出土しています。

 

(注3) 同志社大学歴史資料館サイト記事・『朝鮮半島と琉球諸島における銭貨流通と出土銭』( 門田誠一 著 )

http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/research/report/report2000/senka/senka.pdf

>同じように、琉球諸島から出土した唐の開元通宝についても、

>従前は帰国の途半ばにして倒れた遣唐使の墓に供えられたという考え方があった。

>しかしながら、琉球諸島における10世紀以前の開元通宝出土遺跡は30遺跡を越え、

>加えて、石垣島の崎枝・赤崎遺跡では、開元通宝のみの組み合わせで、上下の層位から、

>27枚と6枚、合計33枚が出土していることからみても、

>これらの開元通宝が偶発的な契機によってもたらされたとは考えにくくなっている。

 

(注4) 見通し距離は上空ほど大気の密度が低い事によって光が下方に曲がる「大気差」という現象を考慮した CASIOの「高精度計算サイト で見通し距離をで計算すると、標高362mの釣魚嶼(魚釣島)最高点の見通し距離は約72km程度で船の見張り役の目の高さを海上7mの見通し距離は約10km程度になり、合計は82kmになりますが、これは波が全く無く非常に高性能な望遠鏡が利用できる場合の見通し距離であって、実際には海には波がありますし、16世紀半ば以前には望遠鏡は存在しませんでした。そのため、10世紀末までの現実的な見通し距離を65km程度と推定しましたが、船の見張り役がマストの上から島を探せばより遠くからでも発見可能と考えられます。

 

(注5) 考古学者・小田静夫氏の [ 黒潮圏の考古学 ] 中の『琉球弧の考古学』のページ参照。

http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/index.htm

>では、この開元通宝で何を購入したのだろうか。

>当時、中・南琉球は鉄器時代に突入しており、この貨幣で島外の品物、特に「鉄器とその材料の鉄塊」を購入したと考えられ、

>またそれに伴い開元通宝を扱う商人(中国・大和)の存在も推測されている。