朝日新聞1945年11月7日「国民と共に立たん」には戦争扇動の謝罪が無い

朝日新聞のトリック

 

朝日新聞の戦争責任については、大きく分けて二種類の戦争責任がある。一つは軍用機献納運動に代表される戦争扇動の積極的戦争責任であり、他方は軍部・政府から強制されて虚偽報道をした受動的戦争責任である。

朝日新聞は日本の敗戦後の1945年11月7日に「国民と共に立たん」という小さな記事(注1)を掲載し、それをもって第二次世界大戦における朝日新聞の戦争責任の謝罪・反省をしたと主張している。しかし、それは軍部・政府から強制されて虚偽報道をした受動的戦争責任についての謝罪・反省であって、軍用機献納運動に代表される戦争扇動の積極的戦争責任についての謝罪にはなっていない。

しかし、朝日新聞は「国民と共に立たん」(1945年11月7日朝日新聞記事)の冒頭部分で、支那事変勃発以来、大東亞戰争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等こゝに責任を國民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容とをもつて、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものであるとして包括的に戦争責任について反省したと主張する(注2)。一見すると、その部分で包括的に戦争責任について反省したかに見える。しかし、それはゴマカシである。さすがに夏目漱石・石川啄木を輩出した文筆稼業の専門企業だけあって上手に糊塗しているのである。そのトリックをここに開示する。

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「国民と共に立たん」(1945年11月7日朝日新聞記事)の冒頭部分の「支那事変勃発以来、大東亞戰争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等こゝに責任を國民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容とをもつて、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである」は、いかにも朝日新聞社の戦争責任について軍用機献納運動による日中戦争扇動という積極的戦争責任をも含む戦争責任について包括的に反省を表明したように見えるが、「我等こゝに責任を國民の前に明らかにするとともに」というのは何なのかについて朝日新聞は文面以上の回答はできないと朝日新聞としての回答を拒否する。

ここで、盧溝橋事件(1937年7月7日)後の蒋介石・中華民国国民政府主席の「最後の関頭」声明に対して、現地兵力や補給に不安のあった日本政府が譲歩する可能性を事前に封じる形で軍用機献納運動を提唱し、民間から軍への軍用機寄付のための献金を朝日新聞が取りまとめた事について悪い事として反省し責任を取るとすれば、寄付金を返還すべきであったが寄付金を返還していない。また、日中戦争で死傷したり家財を失ったりした中国人民・兵士およびその御遺族の方々に損害を賠償していない。そして、日中戦争によって中国で死傷した日本軍兵士・軍属及びその遺族にも損害を賠償していない。つまり、「我等こゝに責任を國民の前に明らかにするとともに」というのは、その段落に続く段落の「今回村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至つたのは、開戰より戰時中を通じ、幾多の制約があつたとはいへ、眞実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たしえず、またこの制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、國民をして事態の進展に無知なるまゝ今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである」という部分を意味するものにすぎないのである。つまり、「国民と共に立たん」(1945年11月7日朝日新聞記事)は軍部・政府から強制されて虚偽報道をした受動的戦争責任についての反省を述べたに過ぎず、冒頭部分も軍用機献納運動等によって戦争を扇動した積極的戦争責任に対する反省にはなっていないのである。

 

朝日新聞1945年11月7日「国民と共に立たん」(全文書き写しにて転載)

宣言

國民と共に立たん

本社、新陣容で「建設」へ

 

支那事変勃発以来、大東亞戰争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等こゝに責任を國民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容とをもつて、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである

今回村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至つたのは、開戰より戰時中を通じ、幾多の制約があつたとはいへ、眞実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たしえず、またこの制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、國民をして事態の進展に無知なるまゝ今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである

今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運營さるべく、常に國民とともに立ち、その聲を聲とするであらう、いまや狂瀾怒涛の秋、日本民主主義の確立途上來るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで國民の機関たることをこゝに宣言するものである

朝日新聞社

 


(注1) 紙面全体から見ると、朝日新聞の戦争責任のうち受動的な強制された虚偽報道に関する部分の謝罪だけであっても、そのような小さな記事での謝罪で済ますのはアリバイ的な謝罪である事がわかる。下の紙面コピーでの緑の枠内が「国民と共に立たん」の記事。

朝日新聞1945年11月7日「国民と共に立たん」(縮刷版)の記事のある紙面全体を複写にて転載(ただし、緑枠は後で追加)

 

上掲の 朝日新聞1945年11月7日「国民と共に立たん」(縮刷版より複写にて転載)部分の拡大画像

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 (注2) 朝日新聞を代表して朝日新聞・広報部・高原氏が返答した。

尚、朝日新聞HPの「朝日新聞社のあゆみ」↓では、朝日新聞の社史年表に、

http://www.asahi.com/shimbun/honsya/j/history.html

>1945・11・7      

>「国民と共に立たん」(起草・森恭三)、社説「新聞の新なる使命」を掲載

 

とある。

しかし、1937年7月20日の「軍用機献納運動」の記事は上述の朝日新聞HPの「朝日新聞社のあゆみ」の社史年表には載っていない。

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2005年11月25日 (当初版・2005年11月21日

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp

入試問題に朝日新聞記事を引用させないようにしよう

軍用機献納運動提唱し日中全面戦争を扇動した朝日新聞の戦争責任はA級戦犯より重い。

目次(日本の第二次大戦戦後処理は不適切だった)

目次(マスコミの社会的責任)