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芹田健太郎氏による水野公使発言の趣旨のスリ替え
下関条約 (日清講和条約) 第5条2項に規定された台湾省の受渡の記録 (注1) が伊能嘉矩 著・『臺灣文化志』下巻 (刀江書院・昭和三年九月二十日発行) ・第十六編・第一章に掲載されている。尚、伊能嘉矩 著・『臺灣文化志』下巻は国会図書館デジタルコレクションにより下記urlで公開されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1190978
伊能嘉矩 著・『臺灣文化志』下巻p.936-937より引用した上掲の画像で、「李」とある字の下に示されている文章は李経方・清朝中国全権代表の発言であり、「水」とある字の下に示されている文章は日本側の水野遵・公使の発言である。
李経方・清朝中国全権代表は、台湾の附属島嶼の島名目録の作成を提案している。それは、将来、日本が中国本土の福建省の沿岸の島を下関条約で割譲された台湾の附属島嶼だと主張してくる危険性除去のためである。それに対して、水野遵・公使は不都合であり杞憂だとしている。不都合である理由として、目録に脱漏や無名島があれば日中いずれの領土でもなくなってしまう事を上げている。杞憂だとする理由は二つあって、第一の理由としては海図及び地図等で台湾附近の島嶼を指して台湾所属島嶼と公認してある事を挙げ、第二の理由としては「福建と台湾の間に横はりある」からだとしている。
しかし、杞憂だとする第一の理由は誤っている。下関条約には割譲対象の「台湾全島及び附属諸島嶼」を示す地図が添付されておらず (別記事・[ 下関条約調印書に台湾の地図が添付されてなかった ]参照)、下関条約署名の1895年4月17日以前の大半の台湾の地図には福建沿岸の島も載っていたからである。一例として『台湾全島之図』(旧・日本海軍水路寮 作成) (注2-1) と『台湾島及海峡』 (注2-2) を下に示す。
結局、水野公使が杞憂だとして挙げた第一の理由は誤りなのである。
ところが、芹田健太郎・神戸大学名誉教授は『島の領有と経済水域の境界画定』 (注3-1) 及び『日本の領土』 (注3-2) で水野公使発言の趣旨をスリ替え、次のように述べている (注4)。
明治29年まで日本で発行された台湾に関する地図、海図の類は、例外なく台湾の範囲を彭佳嶼までとしており、台湾受渡の時に問題となった「海図及び地図等で公認しある台湾所属島嶼」に尖閣諸島が含まれないことは、日清双方の一致して認めるところであった。 |
上述のように、水野公使発言の杞憂否定のために第一の理由は「海図及び地図等で台湾附近の島嶼を指して台湾所属島嶼と公認してある」ので福建省沿岸の島が含まれないというのは誤りであるので無視すべきなのである。しかも、芹田健太郎氏の「明治29年まで日本で発行された台湾に関する地図、海図の類は、例外なく台湾の範囲を彭佳嶼までとしており」というのは『臺灣水路誌』(日本海軍水路寮・1873年発行) (注5-1) や『寰瀛水路誌 卷4』(海軍省水路部・1889年発行) (注5-2) については誤りであり、『台湾全島之図』 (注2-1) では誤解を生じさせる誤記がある (注6)。更に、尖閣諸島を含む台湾の地図もロシュ・ポンシ作図の1863年フランス製のものが存在する (注7) ので、そもそも、下関条約調印書に割譲対象の「台湾全島及び附属諸島嶼」を示す地図が添付されていない以上は、水野公使発言の杞憂否定のために第一の理由である「海図及び地図等で台湾附近の島嶼を指して台湾所属島嶼と公認してある」は無視すべきなのである。
尚、下関での日清戦争の講和交渉で1895年4月10日の会談で示した日本側条約案の「覚書」に関係する地図を伊藤博文が清朝中国の李鴻章に貸与した事が『日本外交文書(第28巻第2冊)』・p.408 (注8) にあるが、下の図による説明のように「彭佳山」の誤記により尖閣諸島の釣魚嶼(魚釣島)や黄尾嶼(久場島)が記載されていると誤解を招く『台湾全島之図』 (注2) を貸与した疑いも排除できない。2019年3月7日
御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 芹田健太郎氏による水野公使発言の趣旨のスリ替え 浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。(注1) 原本はアジア歴史資料センターでレファレンスコード「A03023062300」の資料として公開されているが読みづらい。
(注2-1) 『台湾全島之図』(旧・日本海軍水路寮 作成) は国立公文書館・国会図書館・東京国立博物館等で所蔵されている。
私が調べたかぎりでは、所蔵館のうち東京国立博物館のみがインターネット公開をしているようであるが拡大画像でも「彭佳山」の記載が読み取り困難である。東京国立博物館ホームページの「研究情報アーカイブズ」サイトへのリンクを東京国立博物館・資料の利用では義務付けられている。
個人では田中邦貴氏のホームページ [ 尖閣諸島問題 ] で公開されている『台湾全島之図』の画像が鮮明で詳細まで確認できる。田中邦貴氏による出典情報によれば国立公文書館のものだそうである。
国立公文書館は一部の資料はインターネット公開しているが日本に特に不都合な資料はインターネットでは公開していないようである。(館内では公開し、遠方からの複写請求にも応じるが複写には日数がかかり比較的高額である。)
尚、国会図書館では『台湾全島之図』を二部所蔵しているが、全体を一枚で複写できず、私が入手した請求番号が「YG4-Z-M-2813」の『台湾全島之図』のコピーは画質も悪い。
(注2-2) 『台湾島及海峡』 (水路部・1894年発行) の画像は下記のurlより入手した魏德文 主講による『清末から日本統治初期の台湾関する地図』PDFに掲載されている地図を引用。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/geography/gaihouzu/newsletter5/pdf/n5_s3_2.pdf
(注3-1) 芹田健太郎 著・『島の領有と経済水域の境界画定』 ・有信堂・1999年6月3日・初版第1刷発行 参照。
(注3-2) 『日本の領土』・中公文庫・2012年12月5日・初版第3刷発行 参照。
(注4) 芹田健太郎 著・『島の領有と経済水域の境界画定』 ・有信堂・1999年6月3日発行・初版第1刷・p.221参照。尚、『日本の領土』・中公文庫・2012年12月5日発行の初版第3刷・p.160-161にも同じ記述がある。
(注5-1) 『臺灣水路誌』(日本海軍水路寮・1873年発行)は国会図書館と図書館送信参加館で閲覧可能である。(国立国会図書館書誌ID:000008081065, 永続的識別子:info:ndljp/pid/10304316)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10304316
尚、個人ではあるが、田中邦貴氏のホームページ [ 尖閣諸島問題 ] の [ 台湾水路誌 明治6年 ] でインターネット公開されている。
(注5-2) 『寰瀛水路誌 卷4』(海軍省水路部・1889年発行)は国会図書館により下記urlでインターネット公開されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1084219
(注6) 『台湾全島之図』の「彭佳山」が誤記である事は石井望・長崎純心大學准教授から御指摘を受けた。
『台湾全島之図』の誤記については石井望・長崎純心大學准教授が彼のブログ [ - 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ ] の記事 [ GIF動畫。これが尖閣だから附屬島嶼なのださうだ。臺灣北方三島、明治初期の地圖。 ] で判り易く解説されている
(注7) ロシュ・ポンシ作図の1863年フランス製地図・『中国沿岸図』(大阪大学附属図書館インターネット公開)参照。タイトルは『中国沿岸図』であるが実際には台湾周辺の地図である。
https://www.library.osaka-u.ac.jp/others/tenji/maps/map083.htm
下記urlの拡大画像では尖閣諸島も描かれている。
https://www.library.osaka-u.ac.jp/others/tenji/maps/img0083.jpg
(注8) 『日本外交文書(第28巻第2冊)』・p.408は下記urlで外務省がインターネット公開しているがDjvuビューアーが必要である。Djvuビューアーのダウンロードサイトは外務省ホームページの[ 日本外交文書デジタルコレクション ] のトップページからリンクされている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DM0003/0001/0028/0603/0197/0424/index.djvu