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冊封使による国境画定 (標準版)
琉球冊封使は中国皇帝の代理として、琉球国王を冊封する使節です。琉球王国の領土について琉球人の住む有人島については冊封使が勝手に変更できませんが、中国本土と琉球王国の境界付近の無人島や海域については冊封使に国境画定の権限があったと考えられます。ただし、明白に不当であったり過誤があったり琉球側からの異議があれば再考すべきものと思われますが、琉球側からの異議はなかったようです。
冊封使が琉球王国に向かう航路 (往路) は、鶏籠港 (基隆港) 沖の制海権が外国や反政府勢力にあった時を除けば、
「福建省福州」→「小琉球(台湾本島)」北端→「鶏籠嶼(基隆嶼)」→「花瓶嶼」→「彭佳嶼」→「釣魚嶼 (魚釣島) 」→「黄尾嶼 (久場島) 」→「赤尾嶼 (大正島)」→「久米島」→「馬歯山 (慶良間諸島) 」→「那覇港 (沖縄本島)」 |
の予定だったですが、当時は実用的精度の経度測定ができず、また、帆船のため風向きしだいで航路が大幅にズレたため、上記の予定航路からはずれる事も多かったのですが、琉球王国との国境に言及した陳侃や郭汝霖や汪楫の場合は、いずれも「赤尾嶼 (大正島)」を経由しています。
そして、陳侃は『使琉球録』で久米島が琉球王国の領土だ (注1-1) (注1-2) とし、郭汝霖は赤尾嶼 (大正島) は国境の島だ (注2-1) (注2-2) とし、汪楫は赤尾嶼と久米島の間の深い海が中国と琉球王国の境界だ (注3-1) (注3-2) としました。郭汝霖と汪楫とでは国境の位置が若干異なる可能性がありますが、陳侃や郭汝霖や汪楫いずれの場合も国境が赤尾嶼 (大正島) と久米島の間にあった事については一致しています。
上記の解釈に対して、日本領論者の多くは赤尾嶼以前に航路の目標にした島が中国領だというのは、当時は「小琉球」と呼ばれた台湾本島が中国領でなかったので虚構だと批判をしています。
しかし、常識的に考えて台湾本島は北端を目標にしただけなので航路の他の無人島に比べて圧倒的に大きく原住民の住む台湾本島を例外として考えれば、陳侃や郭汝霖や汪楫の時代に中国は、「鶏籠嶼(基隆嶼)」→「花瓶嶼」→「彭佳嶼」→「釣魚嶼 (魚釣島) 」→「黄尾嶼 (久場島) 」→「赤尾嶼 (大正島)」の部分のシーレーンを実効支配しており、また、陳侃や郭汝霖や汪楫の時代には中国が東シナ海全域で制海権を有しており、もし仮に海賊や反政府勢力や外国が望楼を造ったり泊地にしたりすれば排除する軍事力はあり、また排除したであろうと思われます。
しかも、明朝中国は台湾本島を実効支配はしてませんでしたが、明朝以前に中国が国家を形成していない原住民の島である台湾本島を発見したので、陳侃や郭汝霖が冊封使を務めた16世紀の西洋の国際法の基準では実効支配が無くとも発見のみで無主地先占が認められており、一応は中国の領土でした。
ちなみに、明朝末期に明朝中国はオランダに澎湖諸島から退去するなら台湾の領有を認めるとして台湾をオランダに譲りました。オランダは喜んだそうですが、明朝が台湾本島を全く実効支配してなかったので苦労したようで、台湾の植民地経営の拠点となるゼーランジャ城建設に当たっては、建設用地を実効支配していた日本人を騙して用地確保してゼーランジャ城を建設したそうです。
その後、鶏籠港 (基隆港) 港口の島にスペインが要塞を造ったので、明朝最後の冊封使は鶏籠嶼を航路からはずしたと考えられます。(別記事・[ 鶏籠港沖の制海権を失った時は冊封使船は鶏籠嶼を避けていたと考えられる ] 参照。)
更に、その後、明朝が滅亡して中国の正統王朝は清朝になったのですが、明朝の遺臣の鄭成功が反政府活動をすると共に台湾をオランダから奪いました。(これは明朝中国とオランダとの合意違反ですがオランダは文句を言ってないようです。)そして、鄭氏は鶏籠港 (基隆港) 港口の島の要塞を(スペインから奪った)オランダから奪いました。そのため、清朝最初の冊封使も鶏籠嶼を航路からはずしたと考えられます。(別記事・[ 鶏籠港沖の制海権を失った時は冊封使船は鶏籠嶼を避けていたと考えられる ] 参照。)
清朝の二回目の冊封使である汪楫の福州出航前日に澎湖海戦で清朝が鄭氏に勝利し、台湾周辺の制海権を確保し、台湾制圧は時間の問題になってました。尚、当時台湾を実効支配していた鄭氏は明朝中国の領土として台湾を支配してましたので、国際法上は反政府勢力支配地である台湾も中国の領土だったのです。
(注1-1) 陳侃 著 『使琉球録』中の「使事紀畧」・ 伊波普猷文庫・琉球大学図書館公開画像 (p.16) 参照。
(注1-2) 『陳侃 使琉球録』・原田禹雄 訳注・榕樹書林 (1995年6月5日発行) p.32 参照。
(注2-1) 郭汝霖編・『重編使琉球?』・(台湾) 國家圖書館・古籍與特藏文獻資源サイト公開画像 (p.29) 参照。
(注2-2) 『郭汝霖 重編使琉球録』・原田禹雄 訳注・榕樹書林・2000年4月発行・p.72参照。
(注3-1) 汪楫 著・『使琉球雜錄』 ハワイ大学所蔵・琉球大学附属図書館公開画像 (p.64・65) 参照。
(注3-2) 『汪楫 冊封琉球使録 三篇』 汪楫 著・原田禹雄 訳注・榕樹書林・1997年発行・p.125参照。
2016年10月27日
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