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(注意):この記事には 詳細版 があります。


尖閣諸島に関する領土問題を教えられる先生方へ(標準版)

 

[ 高等学校学習指導要領(平成30年3月公示)の矛盾とウソ ]

高等学校学習指導要領(平成30年3月公示)

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/07/11/1384661_6_1_2.pdf

>尖閣諸島の編入についても触れること  (p.67)

>・・・・・

>「国家主権,領土(領海,領空を含む。)」及び「我が国の安全保障と防衛」については,国際法と関連させて取り扱うこと。  (p.99)

   文部科学省教育課程課に問い合わせたところ、当該部分は外務省のホームページの記事・[ 尖閣諸島情勢に関するQ&A ]の「Q2:尖閣諸島に対する日本政府の領有権の根拠は何ですか。」に対する回答の「A2」を念頭に置いているとの事であったので、その一部を引用します。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#q2

1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,正式に日本の領土に編入しました。

>この行為は,国際法上,正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。

>尖閣諸島は,1895年4月締結の下関条約第2条に基づき,日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれません。

 

   問題は沖縄県知事が第二次世界大戦終結まで標杭 (国標) の建設をしなかった事です。それについて外務省は回答を拒否したので、内閣官房の「領土・主権対策企画室」のオガワ氏に問い合わせたところ、「沖縄県知事が標杭を建設した記録はみつからなかった」旨の回答を得ました。

   国際法の「先占の法理」では実効支配 (実効的占有) が必要なのに公開の領有宣言も標杭の建設もしておらず、下関条約署名の1985年4月17日まで実効支配 (実効的占有) が無く (仮に尖閣諸島が1895年年初時点で無主地だったと仮定しても) 「先占」が完了してなかったのは明白なのです。注意すべきは、後述のように、いくら非公開の閣議で沖縄県編入を決定しても国際法上は日本領にはならない事です。高等学校学習指導で「国際法と関連させて取り扱うこと」としたため矛盾が出るのです。日清戦争後に尖閣諸島が日本領になったのは下関条約で「台湾の附属島嶼」として割譲されたからなのです。ところが武力によって割譲を強制させて獲得した領土は第二次世界大戦後に返還する義務があるので日本領ではなくなるのです。現在はアメリカ軍の軍事力によって一応は日本が尖閣諸島を実効支配していますが、本来は中国領であり、中国の軍事力がアメリカを上回れば戦争の原因になり尖閣諸島だけでなく石垣島等の先島諸島が占領されるでしょう (別記事・[ 中国の共産党単独政権継続と八重山諸島2040年代危機 ]参照)。

   国際法の「先占の法理」では、いずれの国にも属さない「無主地」を領有の意思を以って国の機関 (または国から授権を受けた私人や法人) によって実効的占有をすれば先占が成立し領土になるとなっています (たとえば、『国際法辞典』筒井若水 編・有斐閣・初版第1刷・「先占」項目参照)。

 

   そのため、仮に尖閣諸島が1895年 (明治28年)の年初時点で無主地だったと仮定しても、同じ年の1895年 (明治28年) 4月17日の下関条約署名までに日本は尖閣諸島を実効的占有しておらず、先占は1895年 (明治28年) 4月17日の下関条約署名まで完了しておらず、尖閣諸島は下関条約によって「台湾の附属島嶼」として「割譲」され日本領になったのです。ところが、武力によって日清戦争の戦果として割譲された土地は第二次世界大戦後に中国に返還せねばならないので、尖閣諸島は中国領なのです。

   実際、尖閣諸島が割譲されて日本領になった事を前提に作成された旧・海軍省の外局の水路部 (現在の海上保安庁・海洋情報部の前身) 作成の水路誌や旧・陸軍の参謀本部の外局の陸地測量部 (現在の国土地理院の前身) 作成の地図が存在します (別記事・[ 陸軍作成地図も海軍作成水路誌も割譲を示す ]参照)。例として、陸地測量部 (現在の国土地理院の前身) 作成の地図・『吐ロ葛喇及尖閣群島』(昭和8年発行)が視覚的に判り易いので下に画像を示します。尚、注意すべき部分(緑色の枠部分)は拡大画像で示し、特に「一般図」画像は画像をクリックすると更に拡大表示できるようにしました。

   

「陸地測量部」作成の地図『吐ロ葛喇及尖閣群島』(昭和8年発行) は、国土地理院情報サービス館、各地方測量部及び支所において、ディスプレイで閲覧可能です (リスト番号:164-14-9)。

http://www.gsi.go.jp/MAP/HISTORY/etsuran.html

また、鮮明な謄本・抄本も購入可能です (リスト番号:164-14-9)

http://www.gsi.go.jp/MAP/HISTORY/koufu.html

参考資料 (1) [ 国立公文書館・アジア歴史資料センター・公開資料 (レファレンスコード:A01200793600) 参照 ]

日清戦争中の1895年 (明治28年) 1月14日の閣議で、以前から久場島と魚釣島に標杭 (国標) 建設の許可を求めていた沖縄県知事に対して、沖縄県の所轄と認めるので標杭 (国標) の建設を認めるとした決定。尚、資料の標題に『標杭ヲ建設ス』とありますが実際には建設されていません。標題に騙されないよう要注意!!本来のタイトルは『標杭建設ニ関スル件』です。

参考資料 (2) : 井上清著『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』は本来は書籍ですが、下記urlでインターネット公開されてます。

http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

[ 尖閣諸島日本領論強制教育の問題点 ]

   学習指導用領による尖閣諸島日本領論強制教育には、少なくとも以下の重大な問題があります。

第一に、尖閣諸島日本領土論が正しくない事です 。これは政府による教育の不正利用で第二次世界大戦中の軍国主義的教育と本質が同じです。もちろん、教育の自由や学問の自由に対する侵害となる不正な強制です。

第二に、中国の経済規模を示すGDPが2040年までにアメリカのGDPを抜く可能性が高く、中国の軍事装備総額が第二次世界大戦終結百周年の2045年までにアメリカを抜く可能性が高く、日本はアメリカの軍事力を背景とする領土維持が困難になり、尖閣諸島の領土紛争から石垣島等の先島諸島が占領されたり、場合によっては日本全土が占領される危険がある事です。

第三に、尖閣諸島領有問題の原因の一つとして、清朝中国が尖閣諸島の島の近代的測量をしなかったという領土管理上の怠慢もあります (別記事・[ 中国は釣魚嶼・黄尾嶼・赤尾嶼近海の近代的地図作成を怠っていた ]参照)。しかし、もし仮に、領土管理の甘かった清朝中国には領有する資格が無いというような指導をすれば、現在の日本国内で資産管理能力の低い高齢者から振り込め詐欺するのは正義だと誤解する生徒が出てくる危険があり、生徒のモラル破壊や教育の荒廃を招く危険があります。

第四に、政策の硬直化を招く危険がある事です。善悪を抜きにしても尖閣諸島周辺の制海権・制空権を日本が握っているのはアメリカの軍事力が中国を上回っているからで、そのミリタリーバランスが崩れれば前提が変わります。その際、子供時代に尖閣諸島が絶対的日本領だと教えられれば成人しても尖閣諸島が絶対的日本領だと思い込んで、それが嘘・誤りだと認識しにくくなり、後の政府が実は本当は中国領でしたと中国に謝罪して返還する政策変更の余地を封じてしまう危険があるのです。

第五に、標準的な小中学生では尖閣諸島日本領土論が誤っている事が理解しにくい事です。ただし、小学校高学年の児童や中学生なら、後掲の現在の国土地理院の前身である参謀本部・陸地測量部 (注1) 作成の地図の一部を見れば日本領である事を鵜呑みにはできない事を理解できるかもしれません。(詳細版参照)


目次

2018年12月15日 (2018年9月17日・当初版は こちら 。)

詳細版は こちら

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 尖閣諸島に関する領土問題を教えられる先生方へ   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 下記urlの国土地理院資料参照。

http://www.gsi.go.jp/common/000102612.pdf

>1888●測量局が陸軍参謀本部陸地測量部を経て、

>翌年に参謀本部陸地測量部となる。

 

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(注2-1) 下記urlの海上保安庁・海洋情報部ホームページ資料参照。

http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KIKAKU/jhd_history.html

>1888年 明治21年 6月27日                  水路部          海軍の冠称を廃し水路部と改称

 

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(注2-2) 下記urlのアジア歴史資料センター・資料の「日本海軍の組織概要」の組織図から「水路部」が海軍の冠称を廃した後も海軍省の外局だった事がわかる。

https://www.jacar.go.jp/nichibei/reference/index17.html

 

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(注3) 『日本水路誌・ 第2巻』 (明治27年・1894年刊行)は、下記urlの国立国会図書館デジタルコレクション参照。(通常のインターネット回線で閲覧可能)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/847180

 

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(注4) 『日本水路誌.・第2卷 附録』(明治29年・1896年刊行)は、下記urlの国立国会図書館デジタルコレクション参照。(通常のインターネット回線で閲覧可能)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1084055

 

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(注5) 『日本水路誌 第2巻下』 (明治41年・1908年刊行)は、下記urlの沖縄県立図書館・貴重資料デジタル書庫参照。

http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=61715

 

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