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(書誌第5號) 臺灣南西諸島水路誌 (昭和16年刊行) から判明する事

 

 

   表紙及び扉に表示された書名は『臺灣南西諸島水路誌』であるが副タイトルは「南西諸島 大東島 尖頭諸嶼 臺灣付近島嶼 新南群島」とあり、副タイトルでは「南西諸島」と「尖頭諸嶼 (尖閣諸島)」を別個の諸島として扱っている。

 

   しかも、p.134-135では以下のような記述があり、「赤尾嶼  尖頭諸嶼」(尖閣諸島)が「南西諸島」とは別個の諸島であるとの認識が示されている。

 

>赤尾嶼及尖頭諸嶼

>南西諸島西端部ノ北側ニ於テ南西諸島ノ列線ト並行ニ之ト離レテ存在スル小嶼

>及其ノ集団ニシテ、赤尾嶼ハ単独ヲ以テ宮古列島ノ北方ニ、尖頭諸嶼ハ群集シ

>テ八重山列島ノ北方ニ在リ。

   ただし、刊行された昭和16年当時の尖閣諸島の魚釣島 (釣魚嶼) は無人島であり面積も南西諸島の沖縄本島に比べ圧倒的に少なく当時は排他的経済水域も無く領海も3海里だったため沖縄本島に比べ重要性が圧倒的に劣っていたので、便宜上、項目の配列では「第4編 南西諸島南部 大東島」に「赤尾嶼  尖頭諸嶼」が含められている。それでも、目次では「宮古列島」と「八重山列島」は「先島群島」の下に含められているが「赤尾嶼  尖頭諸嶼」(尖閣諸島)は「先島群島」と同格で別個に表示されている。そして、赤尾嶼 (大正島) と黄尾嶼 (久場島) は配列・分類上、台湾には含まれてはいないものの表記は日本の正式名称ではなく中国名で表示されている。

 

   また、p.125には、八重山列島に属する島のうち、石垣島・西表島の山は標高が高く、小濱島・波照間島・沖の神島・與那國島の標高はやや高いが、それ以外の小嶼の標高は20メートル内外に過ぎない旨の記述があり、尖閣諸島が八重山列島に含まれていない事がわかる。

 

   そして、「大東島」の解説(p.115)では南北大東島が明治18年8月に編入され、沖の大東島が明治33年10月に編入された旨の記載があり、「新南群島 (南沙諸島)」の解説(p.243)でも管轄や領有宣言の記述があるが、「赤尾嶼  尖頭諸嶼」(尖閣諸島)の島には編入に関する記述が無い。

尚、「赤尾嶼  尖頭諸嶼」(尖閣諸島)の記述のある 「p.134-135」 「p.136-137」 「p.138」 参照。 

 

   さらに、魚釣島の解説では漁業につき、台湾の基隆港からの漁船の記述が先にp.137で書かれており、その後でp.138に沖縄から漁期に漁夫が来る旨の記述があるが少数としている。ただし、「尖頭諸嶼」部分では八重山方面からの出漁のみ記載されている (p.135参照) 。


目次

2018年3月19日 (2018年1月20日・当初版は こちら 。)

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浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp