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 日本は尖閣諸島において必要な行政を行っていなかった

 

   日本は尖閣諸島において必要な行政を行っていなかった。

   日本政府も日本の地元自治体も船の接岸困難な離島で人が暮らすのに必要不可欠な港湾建設をしなかったため、私人である古賀辰四郎氏が池間島出身の漁師達に命じて小型船用の船着場 (掘割) を造った (注1-1) (注1-2) 。また、日本政府は、固有種や現在の希少種がいた尖閣諸島で古賀辰四郎氏の事業による環境破壊を放置していた (別記事・[ 日本は尖閣諸島で環境破壊をしまくっていた ] 参照) 。それだけでなく、日本政府は灯台建設も行なわず久場島 (黄尾嶼) での深井戸掘削もしなかった (注2)

   さらに、古賀氏が尖閣諸島から撤退後は遭難者のため避難小屋を造って非常食やサバイバルのための物資や手引書を常備しておくべきだったが、それを怠ったため死者が出た (尖閣諸島戦時遭難事件とは - Weblio辞書 参照)。

  

   尚、日本は本来なすべき優先度の高い行政は行わなかったが、古賀善次氏が尖閣諸島の事業から撤退しかけた頃に学術調査や地形図作成は行った。

   しかし、その日本政府による1939年の学術調査 (注3) は生物種の特定や報告書に写真が添付されており、以前の調査よりは進歩は見られるものの、1845年の英国調査隊のベルチャー船長の調査 (注4) や1900年に私人である古賀辰四郎にチャーターされた汽船・永康丸で古賀辰四郎の支援による黒岩恒氏・宮島幹之助氏の調査 (注5-1) (注5-2) よりもかなり時代的に後である。また、そもそも、19世紀以前には学術調査は無主地の先占のための実効支配とみなされうる余地があったが、20世紀に学術調査を実施した事を以って無主地の先占のための実効支配とみなしうるか疑問であって、現在では発展途上国が無人島に先進国から学術調査隊を受け入れても先進国の実効支配にはみなされないであろう。尚、家猫の逃亡によってアホウドリが生存の危機に瀕する事を宮島幹之助博士が指摘 (注5-3) されていたのに日本政府は対策を採らなかった。

   また、現在の国土地理院の前身である陸軍参謀本部陸地測量部が昭和8年 (1933年) に発行した地形図は現地調査を行わず海上写真測量のみによって作成されたものである (注6)


目次

2018年9月14日 (2016年11月21日・当初版は こちら 。)

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 日本は尖閣諸島において必要な行政を行っていなかった   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1-1)  雑誌『現代』(1972年6月号)における古賀辰四郎氏の息子の古賀善次氏のインタビュー記事。(下記の田中邦貴氏のホームページ [ 尖閣諸島問題 ] の [ 古賀善次の証言 in 1972 ] 参照。)

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kogazenji/02.gif

>父が陣頭に立って、十五トン程度の船が入れる港もつくられました。

 

[ この証言は領有紛争後のものだが、古賀辰四郎氏が池間出身の漁師達に命じて小型船用の船着場を造った事に関しては信用できると私は考える。 ]

 

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(注1-2) 日本財団および特定非営利活動法人CANPANセンターによるCANPANプロジェクトでの、尖閣諸島文献資料編纂会による [ 2014年度尖閣研究 尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告 ― 沖縄県の漁業関係者に対する聞き取り調査  ] の [ 2014年度尖閣研究 尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告 ― 沖縄県の漁業関係者に対する聞き取り調査:2,3章 ](PDFファイル・p.230-231) における池間島の池間漁協所属の漁師・長嶺巌氏への聞き取り調査参照。

http://fields.canpan.info/report/download?id=11674

>魚釣島の掘割  池間漁師 掘った

>・・・・・

>それと、魚釣島には掘割ありますねぇ、

>オジーが言うには、あの掘割を掘ったのは自分達だと 池間の漁師達だと。

>やっぱり船着場がないから、カツオ業するためには、船をいれないといかん。

>明治の頃だから、あの当時機械なんかない、ダイナマイトで爆破して、

>あとは手作業でやっていくわけだから、あの水路は何年も掛けて、

>長い年月が掛かっているはずですよ。

>それに相当人数でやっているはず。

 

[ この証言は領有紛争後のものだが、古賀辰四郎氏が池間出身の漁師達に命じて小型船用の船着場を造った事に関しては信用できると私は考える。 ]

 

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(注2) 久場島 (黄尾嶼) は透水性の高い玄武岩地質の島で雨水は地表でなく地下に染み込み川も池も無い。そのため、古賀辰四郎氏は久場島 (黄尾嶼) での開拓事業で、飲料水や農業用水確保に苦労したようである。久場島 (黄尾嶼) と同じく「台湾-宍道褶曲帯」に属する小規模玄武岩火山の島である日本の本州の山陰の中海の大根島 (島根県) の場合は雨水が透水性の高い玄武岩地層に染み込み「淡水レンズ」を形成している事が確認されている。

熊井久雄 (2001) 『大根島の地下水  -淡水レンズをめぐる問題点-  』

http://ir.lib.shimane-u.ac.jp//files/public/0/6081/20170425010356338731/c006020003.pdf

 

地質構造が大根島 (島根県) と類似する久場島 (黄尾嶼) でも島の中央付近から海抜0m付近に深井戸を掘れば淡水を得られた可能性が高い。

 

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(注3) 正木任 著『尖閣群島を探る』:「採集と飼育」第3巻4号(1941年4月)参照。

(下記の内閣官房のサイトの「尖閣諸島資料ポータルサイト」資料[ 採集と飼育 第03巻第04号(1941年4月)「尖閣群島を探る」 ]より PDFがダウンロードできる。)

http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/senkaku/detail/s1941040000103/s1941040000103-p02.pdf

 

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(注4) サー・エドワード・ベルチャー(Sir Edward Belcher) 著『Narrative of the voyage of H.M.S. Samarang, during the years 1843-46』参照。

(下記の田中邦貴氏のホームページ [ 尖閣諸島問題 ] に関連ページの画像がある。)

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/senkaku/narrative-voyage-1848/

 

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(注5-1) 黒岩恒 著・地学雑誌・Vol. 12 (1900) No. 8 P 476-483  (下記の国立研究開発法人 科学技術振興機構 [JST]にてインターネット公開) 参照。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/12/8/12_8_476/_pdf

 

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(注5-2) 宮島幹之助 著・地学雑誌Vol. 12 (1900) No. 11 P 647-652 (下記の国立研究開発法人 科学技術振興機構 [JST]にてインターネット公開) 参照。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/12/11/12_11_647/_pdf

 

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(注5-3) 宮島 幹之助 (1901): 地学雑誌Vol. 13(1901) No. 1 , p.16-18 (下記の国立研究開発法人 科学技術振興機構 [JST]にてインターネット公開) 参照。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/13/1/13_1_12/_pdf

 

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(注6) 現在の国土地理院の前身の陸地測量部が作成した5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』(昭和8年発行)の左上には「昭和五年測圖(海上寫眞測量)本圖ハ現地踏査ヲ行ハス」との注意書きがある。

 

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