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 SCAPIN677の"Ryukyu Islands"は種子島を含む琉球海溝と沖縄トラフに挟まれた列島

 

    日本は第二次世界大戦の敗戦でポツダム宣言を受諾した。ポツダム宣言第8項には、

http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html  (国立国会図書館ホームページ資料)

>「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

 

とあり、敗戦後の日本の領土は 「本州、北海道、九州及四國」 並びに連合国が日本領と決定する「諸小島」に限定される事になるが、その最終的な決定に先立って1946年1月29日に旧日本領の予備的な分類が『連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号』として発せられた。そこには、旧日本帝国の支配下にあった地域のうち、「日本領と一応内定した地域」と「日本領とするか否か更なる吟味を要する検討継続中の地域」と「日本が放棄すべきと一応内定した地域」に三分類されて示されている。ただし、第6項に「Nothing in this directive shall be construed as an indication of Allied policy relating to the ultimate determination of the minor islands referred to in Article 8 of the Potsdam Declaration. (この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。)」との注意書きがある事に留意せねばならない。

 

   尚、日本の外務省が公開している『連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号』の書類

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/pdfs/g_taisengo01.pdf

及び国会図書館が公開している『SCAPIN-677』の書類

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9885747

は、いずれも極めて見づらいので、以下においては、文字起こしされたwikisorce「Governmental and Administrative Separation of Certain Outlying Areas from Japan (SCAPIN - 677) 」

https://en.wikisource.org/wiki/Governmental_and_Administrative_Separation_of_Certain_Outlying_Areas_from_Japan

の文章を前提に考察する。

 

上述のSCAPIN677の第3項の前半は「日本領と一応内定した地域」が示されている。

>For the purpose of this directive, Japan is defined to include the four main islands of Japan (Hokkaido, Honshu, Kyushu and Shikoku)

>and the approximately 1,000 smaller adjacent islands, including the Tsushima Islands

>and the Ryukyu (Nansei) Islands north of 30° North Latitude (excluding Kuchinoshima Island);

 

 

上述のSCAPIN677の第3項の後半には「日本領とするか否か更なる吟味を要する検討継続中の地域」が示されている。

>and excluding

> (a) Utsuryo (Ullung) Island, Liancourt Rocks (Take Island) and Quelpart (Saishu or Cheju) Island,

>(b) the Ryukyu (Nansei) Islands south of 30° North Latitude (including Kuchinoshima Island),

>the Izu, Nanpo, Bonin (Ogasawara) and Volcano (Kazan or Iwo) Island Groups,

>and all the other outlying Pacific Islands [including the Daito (Ohigashi or Oagari) Island Group,

>and Parece Vela (Okino-tori), Marcus (Minami-tori) and Ganges (Nakano-tori) Islands],

>and (c) the Kurile (Chishima) Islands,

>the Habomai (Hapomaze) Island Group (including Suisho, Yuri, Akiyuri, Shibotsu and Taraku Islands)

>and Shikotan Island.

 

 

上述のSCAPIN677の第4項には「日本が放棄すべきと一応内定した地域」が示されている。

>Further areas specifically excluded from the governmental and administrative jurisdiction of the Imperial Japanese Government are the following:

>(a) all Pacific Islands seized or occupied under mandate or otherwise by Japan since the beginning of the World War in 1914,

>(b) Manchuria, Formosa and the Pescadores,

>(c) Korea,

>and (d) Karafuto.

 

 

   1951年署名の「対日講和条約 (サンフランシスコ講和条約)」の「南西諸島 (Nansei Islands)」には大東諸島も含まれているがSCAPIN677の第3項では「the Daito (Ohigashi or Oagari) Island Group」は「the Ryukyu (Nansei) Islands」と別個に扱われておりSCAPIN677の第3項の「the Ryukyu (Nansei) Islands」は「対日講和条約 (サンフランシスコ講和条約)」の「南西諸島 (Nansei Islands)」と異なる。そして、その差異によりSCAPIN677の第3項は自然地理学的分類をしている事がわかる。

   驚くべき事には、SCAPIN677の第3項の「the Ryukyu (Nansei) Islands north of 30° North Latitude (excluding Kuchinoshima Island)」は日本語に訳すと「北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)」となり過去に一度も琉球王国の版図に含まれた事がない種子島まで「the Ryukyu Islands」に含まれている事を示している。現在の日本政府による「琉球諸島」の定義や標準的定義とは異なる定義であるだけでなく、第二次世界大戦終結以前の旧日本帝国政府による「琉球諸島」の定義とも異なっていた。

   尚、「the Ryukyu Islands」は第二次世界大戦終結まで (日本と通商関係があり「琉球」の最初の音を「R」音で発音する日本から琉球に関する知識を得たオランダの言葉を除いて) 多くの欧米諸国語における「琉球諸島」の表記が"L"で始まるのに対し"R"で始まっており日本のローマ字表記を初めて英文に取り入れたものと思われる。ちなみに、旧日本帝国の明治天皇とグラント・元アメリカ大統領との会談でも明治天皇の「琉球」の語は「Loo Chu」と英訳されていた (『日本外交文書 第12巻』参照) 。そして、例外的に明治天皇とグラント・元アメリカ大統領との会話に「琉球」の語や1898年の『大日本帝国全図』には「琉球諸島」との表記はあるものの、第二次世界大戦終結まで旧日本帝国政府は漢字表記でも「琉球」の語を好まず「沖縄」の語の使用が多かったため、第二次世界大戦終結まで公文書や政府発行の地図や海図で「琉球」をローマ字表記の「Ryukyu」とは表記しなかったと私は推測している。少なくとも「the Ryukyu Islands」の語はSCAPIN677より前には定着していなかったのである。

   また、第二次世界大戦終結以前の表記が"L"で始まる欧米諸国語における「琉球諸島」の範囲とも第二次世界大戦終結以前の中国語で「琉球諸島」に相当した「琉球三十六島」とも範囲が異なる。第二次世界大戦終結以前の表記が"L"で始まる欧米諸国語における「琉球諸島」の範囲はイエズス会宣教師のゴービル神父がフランスに送った書簡本文で紹介した清朝中国の冊封副使・徐葆光の著書『中山伝信録』の(琉球王国への航路途上の尖閣諸島を含まない)「琉球三十六島」に由来し、ペリー提督も航海記で琉球諸島の数が「thirty-six」として知られていると紹介している。ただし、第二次世界大戦終結以前の表記が"L"で始まる欧米諸国語の地図・海図の中にはゴービル神父がフランスに送った書簡を読まず書簡貼付の地図(琉球王国への航路途上の尖閣諸島も描かれている)を誤解して尖閣諸島を含めた杜撰なものも存在したようである。尚、イエズス会宣教師のゴービル神父がフランスに送った書簡は18世紀にフランスで出版され、日本語訳も第二次世界大戦後の日本で出版されているが日本語訳には地図は貼付されていない (『イエズス会士中国書簡集・第七書簡』参照) 。

   すなわち、SCAPIN677の第3項の「the Ryukyu (Nansei) Islands」の語は過去及び現在の日本政府による「琉球諸島」や「南西諸島」の定義や「対日講和条約 (サンフランシスコ講和条約)」の「南西諸島 (Nansei Islands)」の定義や清朝中国の「琉球三十六島」や第二次世界大戦終結前の欧米語文献の"L"で始まる表記の「琉球諸島」の定義のいずれとも異なるため、SCAPIN677が自然地理学的分類をしている事とSCAPIN677自体の文脈中で解釈せねばならない。

   SCAPIN677の第3項で、注目すべきは、口之島の北端付近を北緯30度線が通っているため第3項の前半部分と後半部分で丁寧に言及している。SCAPIN677の第3項の後半部分が「日本領とするか否か更なる吟味を要する検討継続中の地域」だからであろう。

   逆にSCAPIN677の台湾及び附属島嶼は単に「Formosa」とのみ記載されているだけである。「日本が放棄すべきと一応内定した地域」だから大雑把な記述にしたのであろう。

   また、アメリカは旧日本帝国とは潜水艦での戦闘を経験しており、海底地形から与那国島・石垣島・宮古島等の先島諸島と尖閣諸島の間には深い海があって海底地形から別個の諸島である事を認識していた。

   すなわち、SCAPIN677では自然地理学的に分類され、SCAPIN677の第3項の後半部分が「日本領とするか否か更なる吟味を要する検討継続中の地域」で細部まで詳述されている事を考えるとSCAPIN677の第3項の後半部分に尖閣諸島に関する言及が無いのは尖閣諸島が大雑把な記述のSCAPIN677の第4項の「日本が放棄すべきと一応内定した地域」の「Formosa」に含まれていると考えていたからと推察される。そして、SCAPIN677第3項の「the Ryukyu (Nansei) Islands」は種子島を含む琉球海溝と沖縄トラフに挟まれた列島と解釈すべきと考えられる。


目次

2018年2月3日 (2018年1月5日・当初版は こちら 。)

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浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp