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 「尖閣諸島」は「冊封使航路列島北部」

 

 

    「尖閣諸島」という日本による分類につられて、領土問題発生後から北京政府は「钓鱼岛及其附属岛屿」、台北政府は「釣魚臺列嶼」と単に名称だけ変えて呼んでいる。しかし、「釣魚嶼 (魚釣島) ・ 黄尾嶼 (久場島) ・赤尾嶼 (大正島) 」部分だけを独立の列島として扱うのは中国に不利なだけでなく、自然地理学的にも歴史的にも鶏籠嶼 (基隆嶼) ・棉花嶼 (梅花嶼) ・彭佳嶼・釣魚嶼 (魚釣島) ・ 黄尾嶼 (久場島) ・赤尾嶼 (大正島) は一まとまりの「列島」である事を無視するものである。「鶏籠嶼 (基隆嶼) ・棉花嶼 (梅花嶼) ・彭佳嶼・釣魚嶼 (魚釣島) ・ 黄尾嶼 (久場島) ・赤尾嶼 (大正島) 」が全体としてひとまとまりの列島である事は日本海軍作成の水路誌で日清戦争後に最初に尖閣諸島に言及した『日本水路誌・第二巻・附録』(明治29年7月刊行)及び『日本水路誌・第二巻・附録・第一改版』(明治35年12月刊行)においてすら尖閣諸島の島嶼である「釣魚嶼・尖頭諸嶼 (北小島・南小島) ・黄尾嶼・赤尾嶼」が「鶏籠嶼 (基隆嶼) ・棉花嶼 (梅花嶼) ・彭佳嶼」と共に「台湾北東ノ諸島」の一部とされていたのである (別記事・[ 日清戦争後の水路誌で「台湾北東ノ諸島」の一部とした日本海軍 ]参照)。

   歴史上は冊封使録に琉球王国への往路の航路として記載されている島々である「鶏籠嶼 (基隆嶼) ・棉花嶼 (梅花嶼) ・彭佳嶼・釣魚嶼 (魚釣島) ・ 黄尾嶼 (久場島) ・赤尾嶼 (大正島) 」は航路目標として利用された事が記録されている。冊封使の航路として区切りがあるのは赤尾嶼 (大正島)と久米島の間であり、冊封使が冊封使録で「溝(郊)」と呼んで恐れた沖縄トラフによって分断されている。

   地質学的にも海底地形的にも大陸棚辺縁の「台湾-宍道褶曲帯」上の列島であり、その多くは小規模玄武岩火山である。

   

   そこで、私は北京政府と台北政府に「鶏籠嶼 (基隆嶼) ・棉花嶼 (梅花嶼) ・彭佳嶼・釣魚嶼 (魚釣島) ・ 黄尾嶼 (久場島) ・赤尾嶼 (大正島) 」をひとまとめにして「冊封使航路列島」  と命名し、「尖閣諸島」は「冊封使航路列島北部」と呼称する事を提言したい。

   ただし、私のホームページの日本語の記事では閲覧者が混乱しないように日本語の通常の表現である「尖閣諸島」を当面使用する事にする。


目次

2018年4月26日 (2016年12月5日・当初版は こちら 。)

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浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp