(注意) タイトルを変更し旧版のタイトルから[緊急提言]という表現を除きました。(2012年5月23日)
[2008年9月22日更新・(当初の2008年6月16日版はこちら)]
林愛明(リン・アイミン)・静岡大教授は四川大地震の緊急現地調査をされ、四川大地震の地震断層が地表に出現した場所を発見したと主張されている。しかし、トレンチを掘らずに写真から地震断層と即断はできない。なぜなら、すでに応急的な道路復旧工事が道路右側になされた後の写真である事と地震前の道路の形状が不明である事だけでなく、写真撮影地点・撮影方向に関する林愛明教授の解説に誤りがあるため、信頼性が低いからである。
上掲の写真は、林愛明・静岡大教授が発見したと主張される四川大地震の地震断層に関する時事通信社・防災リスクマネジメントWebの記事のもので2008年5月20日に林愛明・教授が撮影されたものである。ただし、同じ写真が地学雑誌・117巻3号の表紙にもあるが撮影日が 2008年5月21日と1日だけ異なっている。 |
時事通信社・防災リスクマネジメントWebの記事、及び、地学雑誌・117巻3号に以下の林愛明・教授の解説がある。
>北川県の県庁所在地の南東約1キロ地点での地震断層。
>左(北西)側の木の生えた地面と、右(南東)側の人物の立っている道路面は地震前には同じ高さにあった。
>地震断層の食い違いによって左側と右側の地面には2.5メートルの落差が生じている。
>断層はこの道路とほぼ平行で、北東−南西方向に画面の奥に向かって伸びて都市を横切っている。
まず、解説の誤りについて言及すると、もし、仮に、林愛明・教授の写真の道路が林愛明・教授の解説のごとく北川県の県庁所在地の南東約1キロ地点を通り北東−南西方向に走っていると仮定すると、北川県の県庁所在地の町は小さいので横切る事は不可能で、「都市を横切っている」とする解説に矛盾が生じる。(北川県庁付近の地図と北川県庁の町の市街地域の写真参照。)すなわち、林愛明・教授は写真の解説で「北川県の県庁所在地の南東約1キロ地点」とあるのは誤りである。また、北川県の県庁所在地の町である曲山鎮の市外地域(県城)の南東1kmには幹線道路が存在しない(北川県の県庁所在地付近の地図参照)。
実際、中国雲南省紅河州地震局HP・中国地震局地質所(何宏林・研究員ら)作成の報告記事によれば、当該地点の位置は、北緯31度48.922分・東経104度26.855分であり、北川県庁所在地の町の市街地域中心吊橋付近の川端のビル損壊地点の位置が北緯31度49.729分・東経104度27.410分で、北川県県庁所在地の町の中心の南南西である。(これは、そのGPSデータを知る以前から、私が予想していた地点とピッタリ一致した。)
それだけでなく、「左(北西)側の木の生えた地面と、右(南東)側の人物の立っている道路面」という撮影方向や道路の方位に関連する記述も誤りなのである。これは、同一地点を数メートル後方から写した中国地震局地質所(何宏林・研究員ら)の写真の後方の山と北川県城(北川県庁所在地の町の市街地域)の写真の後方の山とGoogle Mapsの地形図の山とを比較すれば、林愛明教授撮影の問題写真の撮影方向(道路の方向)は真北よりわずかに東に向いているだけであって、16分割方位での表示でも「北北東」より「北」と言うべきものであるのがわかる。(詳細は、林愛明 静岡大学教授撮影の四川大地震地震断層写真解説の誤りと疑問点参照。)
尚、「都市」という表現は不適切だ。北川県の「県城」(県庁所在地の町の市街地域)は「都市」ではないからだ(注1)。しかし、中国語の「城市」は日本語の「都市」に相当するので中国人の林愛明・教授が間違ったのかもしれない。尚、写真の地点は市街地から離れた場所で、北川県県庁の曲山鎮の集落から離れているので、もちろん市街地域ではない。
また、注意すべきは道路の右側に石垣状の段差がある事だ。道路の左側にも地震前から同様の段差があった可能性がある。この事に関して、2008年7月2日午後、林愛明・教授に電話で質問したところ、道路とその左の木の生えた地面とが同じ高さだったのは常識からわかるので現地の人に質問はしていない旨の回答を得た。
ちなみに、日本や欧米でも、道路造成において、峠など地形の形状しだいでは地面を掘り込んで「切り通し(road cut)」(注2)とする場合がある。問題写真の撮影地点は軽い峠状の場所から軽い沢筋に入った場所で、問題の道路の幅が広いので沢筋全体を道路が覆っていて、四川大地震前から両側が高かった可能性がある。
上述のように、地震前に人為的な段差が存在した可能性があり、しかも、すでに応急工事のなされた後(注3)であり地震による変化が不明で、断層も直接見えないのに、林愛明・教授はトレンチを掘るつもりがない事を明言され、疑問があるなら現地調査して論文を書くよう私に薦められた。しかし、私には中国でトレンチを掘る事などできないので、これを読まれた活断層の研究者諸氏にトレンチ掘削による調査を実施される事を提言する。
また、この夏は問題の道路で林愛明教授の写真撮影地点より少し先に検問所(注4)が設置され交通量が非常に少ない(注5)ため幹線道路部分でトレンチを掘る許可が出やすいが、逆に、この機会を逃せば幹線道路沿いにトレンチを掘る許可を得るのは難しくなる。それゆえ、早急に問題の道路でトレンチを掘る事を提言する。
4. 四川省道105号線において、トレンチ掘削すべき他の地点 (地図参照)
Fawu Wang(汪発武)(2008)は検問所のすぐ近くで北西側が上昇した断層を発見したと主張しており調べるべきである。
また、検問所の100m程先にも、北川県城に向かって道路右側に損傷がある。(ただし、上記のFawu Wang(汪発武)(2008)指摘の段差とつながっている可能性がある。)
(中国雲南省紅河州地震局HP・中国地震局地質所(何宏林・研究員ら)作成の報告記事参照。ただし、応急工事後の人手の入った写真である。応急工事前の上掲右の中国公路網HP2008年5月13日の記事の写真と比較されたい。)検問所の先ではあるが、この地点もトレンチ調査するのが望ましい。この地点は道路の沢筋と別の沢との合流地点で、中国雲南省紅河州地震局HP・中国地震局地質所(何宏林・研究員ら)作成の報告記事で指摘された道路損傷区間のうちで、この地点のみが四川大地震以前から活断層の存在を指摘していた周栄軍・李勇・A.L.Densmore et.al.(2006)が断層と接すると推定していたからである。尚、林愛明教授撮影地点については周栄軍・李勇・A.L.Densmore et.al.(2006)は旧河道とするのみで断層とはしていない。林愛明教授撮影地点を断層とする考えは、周栄軍・李勇・A.L.Densmore et.al.(2006)とは相容れない可能性がある。なぜなら、旧河道の河床の地形が残存するというのが周栄軍・李勇・A.L.Densmore et.al.(2006)の論拠だからである。尚、地下の鍾乳洞の存在も調べるべきである。道路沿いの山肌全体が陥没している疑いもあるからである。
尚、四川大地震以前から活断層の存在を指摘していたA. L. Densmore, M. A. Ellis, Yong Li, Rongjun Zhou, et.al.(2007)Fig8(b)には上記と別の断層の可能性のある延長が検問所とヘアピン・カーブの間の道路を横切っている可能性もあるので、その地点も合わせて調べるのが望ましい。
ちなみに、私は旧河道とする考えまでは周栄軍・李勇・A.L.Densmore et.al.(2006)及びA. L. Densmore, M. A. Ellis, Yong Li, Rongjun Zhou, et.al.(2007)に合理性があり正しい可能性が高いと同意するが、周栄軍・李勇・A.L.Densmore et.al.(2006)及びA. L. Densmore, M. A. Ellis, Yong Li, Rongjun Zhou, et.al.(2007)の結論が正しいか否かは論理の飛躍がある疑いがあるので、彼らの指摘した断層が四川大地震で動いたか否かの調査報告の結果を待って論ずべきと考える。明確に動いていれば論理の飛躍があっても正しいと言えるだろうが、四川大地震で明確に動いてなければ、正しくない可能性もあるからだ。
結論: 林愛明教授の北川県の列状道路損壊写真の解説には撮影地点と撮影方向に虚偽があり、信頼性が低い。 また、道路左側の部分が断層でなく、地震前の道路造成時から道路の両側が高かった可能性もある。また、写真で斜めに写っている道路舗装面は地震後の応急復旧工事で道路右側だけでも開通させるため道路左側に寄せられた者である可能性が高い。また、林愛明・教授撮影地点では写真の道路の方向は四川大地震の震源域の走向と異なる。 尚、この夏は写真撮影地点の先で道路封鎖されているため交通量が極めて少なくトレンチ掘削許可が出やすいが、この機会を逃せばトレンチ掘削は困難になる。(尚、林愛明教授の写真には写っていないが、検問所の先の道路の沢筋と別の沢との合流地点の道路損壊部分もトレンチ調査するのが望ましい。ただし、地下の鍾乳洞の存在も調べるべきである。) |
(注1)北川県県庁の曲山鎮の人口等については下記のサイト参照。
山水旅游黄頁「北川県.beichuanxian 当地介紹」参照
尚、下の写真を見れば、小さな町である事がわかるだろう。
上掲の写真は四川大地震前後の写真を掲載した網易新聞記事より引用したものである。北川県県庁所在地の曲山鎮の集落を南南東方向の高台から撮影したものと思われる。問題の地点は、上掲の県庁所在地の写真の撮影地点より後方で写真のヘアピンカーブの幹線道路が坂を登りきった場所の奥の林間と思われる。 |
上掲の地図は、Google Maps (中国用)より引用したものである。(Google Mapsの地形図はここをクリック。ただし、若干場所がズレる事に注意。) この地図と林愛明・教授撮影の道路損壊現場写真と網易新聞の北川県城の写真の背景の山の形を照合すると、林愛明教授の指摘の道路撮影地点は北川県県庁所在地の曲山鎮の南東ではなく南南西である。 |
(注2) 英語版wikipedia「Cutting (transportation)」参照
まず、北川県のものと思われる「切通し」の例の写真↓参照。(大姐的博客の記事「百日北川」より引用)
尚、Googleの画像検索で「切り通し 峠」というキーワードで両側が段差になっている以下の画像を発見した。
上掲の写真は、静岡県内の「切り通し」画像で、吉川氏の「サイバーサイクリストのページ」の「清笹峠と石仏峠と宇津ノ谷峠」より引用 |
また、Googleの画像検索で「切り通し 国道」というキーワードで両側が高くなって段差になっている以下の画像を発見した。
上掲の写真は「 押切り坂の上から見た国道1号線の切り通し」の画像で、「へんろ日記」HPの「平成16年 4月12日」より引用 |
(注3) 問題の道路である四川省道105号線は2008年5月12日に発生した四川大地震により何箇所も重大な損傷を受け通行不能になったが、驚くほどの突貫工事により四川大地震発生のわずか3日後の5月15日に仮開通しており、林愛明教授の北川県現地調査はその後である。
和訊網(和訊新聞HP)の↓の記事参照。
http://news.hexun.com/2008-05-18/106052991.html
上掲の検問所の写真はCCTV.com央視国際網絡有限公司HPニュース記事より引用。林愛明・教授の写真撮影より1ヶ月以上後なので林愛明・教授の写真に写っていた損壊したアスファルトが撤去され様変わりしてるが道路標識及び遠方の山の形から、6月下旬に設置された検問所が問題の林愛明・教授の撮影写真の重機のいた地点の少し先と思われる場所だとわかる。 |
(注5)問題の道路の先の北川県県庁の町は感染症防止のため当分の間、立ち入り禁止になっており、問題の道路の交通量は極めて少ないと予想される。尚、問題の道路損壊の地点は北川県県庁の町から少し離れた高台なので立ち入り可能で、林愛明・教授の写真に写っている重機と道路標識の間に立ち入り禁止の検問所(注4)が6月下旬に設置された。ただし、検問所より数百メートル北川県城よりの道路部分(ヘアピンカーブより南)も活断層の疑いのある部分は調査すべきであろう。
下記の人民網日本語版ニュース記事参照。
尚、立ち入り禁止の検問所は問題の場所の少し先である(検問所写真参照)。