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石井望氏の福建沿岸領海を中国全体の領海と偽る記事
石井望(いしゐのぞむ)氏は「いしゐのぞむブログ」記事・『讀賣新聞 福建の海防線は大陸沿岸まで 元和三年(西暦1617年)』において、明朝中国の福建海道副使(福建沿岸警備担当者)が福建沿岸領海の外は航行自由の海域(公海)だと述べた (注) 事から、明朝中国の福建沿岸領海を中国全体の領海と読者に誤認させ、尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) が中国領でなかったと主張しています。石井望(いしゐのぞむ)氏の記事を御覧になる場合は御注意願います。
尚、明朝・清朝中国時代には尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) は行政区画に属しませんでしたが欧米には現在でも行政区画に属さない領土が存在しますし (別記事・[ 欧米には通常の行政区画に属さない海外属領も存在する ]参照) 、日本でも小笠原諸島は当初は内務省の管轄で、竹島は第二次世界大戦中の1940年に島根県隠地郡五箇村から,海軍舞鶴鎭守府の所轄に移管されています。また、尖閣諸島も日英同盟成立まで当時の沖縄県の基礎的行政区画の「間切」に編入されませんでした。
「いしゐのぞむブログ」記事(2015年5月19日)及び読売新聞記事(2013年1月21日)
[ 讀賣新聞 福建の海防線は大陸沿岸まで ]
http://senkaku.blog.jp/archives/30701638.html
『尖閣反駁マニュアル百題』(いしゐのぞむ著・集広社)・第七十二題。
2017年12月27日
御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 石井望氏の福建沿岸領海を中国全体の領海と偽る記事 浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=260457
>萬歷四十五年八月癸巳朔巡按福建監察御史李凌雲奏稱本年四月十九日
>有台山游兵船一只送回董伯起隨為官兵阻於黃岐海道副使韓仲雍馳至小埕召倭目明石道友
>・・・・・(中略)・・・・・
>為台山為礵山為東湧為烏丘為彭湖皆我閩門庭之內豈容汝涉一跡此外溟渤華夷所共
尚、海道副使韓仲雍が福建の海道副使であった事は、『大明神宗顯皇帝實錄卷之五百三十四』 (中國哲學書電子化計劃) 参照。
http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=427023
>升貴州副使謝存仁為貴州參政
>福建參議韓仲雍為福建副使