(注意)これは、閲覧用ではありません。これは、過去記事保存資料用です。最新版を御覧ください


中国人の方へのアドバイス:この記事を御覧になって立腹されても日本を攻撃するとかの脅迫をすると日本が核武装する危険があるので我慢される事を強く勧めます。


「和洋島」という虚偽の名称を使った日本政府

 

 

   1919年(大正8年)12月、中国の漁民が遭難し、釣魚島(日本名:魚釣島)に漂着し古賀善次氏の漁業事務所で保護された事件がありました。人命救助は非常に良い事ですが、その後の沖縄県知事・川越壮介が「魚釣島」という日本の正式名称を使わず内務大臣への第一報で「和平島」 (注1)  という別名で報告 (注2) し、外務省通商局長には「和洋島」という不存在の名称 (注3) で報告をしたため、中国側に尖閣諸島の「和洋島」にて救助されたと虚偽の島名で通知されたのです。そのため、中華民国時代の中華民国駐長崎領事からの感謝状に「和洋島」という架空名称が使われているのです。 [ ちなみに、中華民国駐長崎領事からの感謝状に架空名称が使われている事から現在の中国政府は感謝状が偽造されたものかもしれないと疑っているようです。 (注4) しかし、感謝状は真正な物と思われます。]

 これは、公式文書で日本の役所が地名について正式名称を使わずに (そして、正式名称を併記すらせずに) 別名のみで記載する事がありえない事や、1885年に国標建設を見合わせながら日清戦争終結間際の1895年1月14日に清朝中国政府に問い合わせも通告もせずに閣議決定で沖縄県知事に秘密裏に国標設置許可をした経緯と考え合わせると、日本での正式な島名の「魚釣島」の隠匿と考えざるをえません。(もし仮に中国側への通知で「魚釣島」という日本の正式名称を使用すると、中国側に冊封船が航路目標にした「釣魚島」が日本では「釣」と「魚」という漢字の順序を入れ替えた「魚釣島」と改名されたと容易に悟られる事を危惧したからでしょう。)

  結局、この「和洋島」という虚偽名称での通知が第二次世界大戦後に中国側の北京政府や台北政府が尖閣諸島を日本領と認めた錯誤の原因の一つの可能性が高いので、中国側は錯誤無効の主張が可能になります。それどころか正式名称を隠して虚偽名称で通知した事により日本政府の実効支配に公然性が欠落し、仮に釣魚島(日本名:魚釣島)が台湾の附属島嶼でなく日本にポツダム宣言受諾による返還義務が無いとしても先占による領有が認められない理由にもなる可能性があります。

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国立公文書館・アジア歴史センターのサイトのレファレンスコード検索でレファレンスコード:B12081793600を入力すると御確認いただけます。

 

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(内閣官房)尖閣諸島資料ポータルサイトの[ 尖閣列島遭難 中華民国感謝状 豊川善佐 ]のページで「見本別添」をクリックすると御確認いただけます。


「和洋島」という別名については、私の別記事 [ 「和平島」という別名の由来についての私の推理 ] 参照。


(注1)  1895年1月14日に閣議決定で沖縄県知事に秘密裏に国標設置許可し正式名称を「魚釣島」とする以前の1880年代に釣魚島(日本名:魚釣島)と表記する地図が海軍や民間人によって作成されていた。

田中邦貴氏のホームページ[ 尖閣諸島問題 ]記事参照。

 

(注2) 大正9年1月21日付の沖縄県知事・川越壮介から内務大臣・床次竹二郎宛ての報告書参照。

一枚目 二枚目 三枚目

 

(注3) 沖縄県知事・川越壮介が外務省通商局長宛ての報告書で「和平島」の「平」の字を「洋」と過失によって書き間違えた可能性を完全には排除できないが、日本を意味する「和」と西洋を意味する「洋」を組み合わせた「和洋島」とする事で中国とは無縁の島だと主張する意図があった可能性の方が圧倒的に高いと考えられる。

 

(注4) 2016年05月05日付けの人民網日本語版記事 [ 釣魚島問題をめぐる日本側の虚偽の主張に再び反論する ]に以下の主張がある。

http://j.people.com.cn/n3/2016/0505/c94474-9053389.html

> 一、日本外務省によると、「1920年5月に、当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状において は、

>『日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島』との記載が見られ」、これは、釣魚島の日本帰属を中国が認めた揺るがぬ証拠だという。

>だが日本の台湾殖民統治時代 の史料を証拠として持ち出すのは、時間的な順序の転倒した錯誤である。

> 中華民国9年(1920年)5月20日、中華民国駐長崎領事・馮冕が「日本帝国八重山郡石垣村顧玉代氏孫伴君」に宛てたものとされるこの「感謝状」に は、

>「中華民国8年、福建省恵安県の漁民である郭和順ら31人が、強風のため遭難し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した」との記載があ る。

>日本の一部はこれを、「尖閣列島が日本の領土であることを中国が認めていたことを示す最も有力な証拠」とみなしている。

> だが「感謝状」に記されている「尖閣列島内和洋島」がどの島を指すのか、今になっても明らかになっていない。

>中日両国が釣魚島を「和洋島」として扱った 先例はない。日本側の資料にも「和洋島」という島名は見当たらない。

>日本はかつて中国の釣魚島を「魚釣島」「和平山」と称したが、「和洋島」という呼称を 使った例はない。

> 従って「感謝状」記載の情報の真偽には考証の余地がある。

>だが史料の真偽を問うまでもなく、歴史的事実を少しでも分析すれば、「感謝状」が十分な証拠足り得ないことはすぐわかる。


 2016年8月23日

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp