石井望氏・尾崎重義氏の『日本一鑑』に対する屁理屈
石井望氏は『和譯 釣魚嶼史三議』 (注1) において、鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」中の「或自梅花東山麓鶏籠上開釣魚目」の段落にある釣魚嶼が尖閣諸島の魚釣島でないと述べている。
しかし、石井望氏は『尖閣反駁マニュアル 百題』 (注2) の第六十六題において、鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」に冊封使の陳侃 (ちんかん) が琉球人から航路を教えてもらったと指摘していたと述べていた。尚、石井望氏が原文として示した文章には「嘉靖初給事中陳侃出使琉球・・・閩海人因知取道於小大琉球」とあるが、私が入手した複数の標準的な資料 (注3) では「昔陳給事出使琉球時従其従人得此方程也」とあり、いかなる版に拠ったのか石井望氏は出典を示すべきである。
鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」では「陳給事出使琉球時」とあって「給事中」という明朝中国の官職名を省略しているが官職が「給事中」の陳という冊封使を意味する。官職が「給事中」の陳という冊封使は三名いるが、琉球王国から派遣された航海士に航路案内された記録のある『使琉球錄』の著者の陳侃 (ちんかん) と思われる。ともかく、鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」では「此方程」として琉球への航路だと述べているし、釣魚嶼に多種のサメがいる事も述べているのでサメの多い尖閣諸島の釣魚嶼 (魚釣島) であるのは明白である。また、鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」では「小東島島即小琉球」との記述と「釣魚嶼小東小嶼也」との記述から、鄭舜功が釣魚嶼 (魚釣島) が台湾の附属島嶼だと認識していた事がわかる。
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上掲の画像は中華民国時代に日本軍占領下の北京の古書肆・文殿閣が刊行した影印本を、更に1996年に日本で影印した書籍『日本一鑑の總合的研究 本文編』 (木村晟 編輯) からの引用である。
付記 (1): 石井望氏は『和譯 釣魚嶼史三議』 (注1) において、「或自梅花東山麓鶏籠上開釣魚目」の部分の「開釣魚目」を目を開いて釣魚嶼を見るの意味と解釈しているが、鄭舜功は「開船」または「開洋」を省略して「開」で表記し、「目標」を省略して「目」としたと考えるべきである。特に、明朝中国の航路指南書の『順風相送』 (両種海道針経) でも「開船」・「開洋」の語が使われており (注4)、明朝中国の冊封使・夏子陽 著・『使琉球錄』の使事紀には「本格的な航行の開始」の意味で「開洋」の語が使われ (注5)、航路に関する歌の中で「開」と省略しても「開船」・「開洋」だとわかる。尚、「鶏籠上」の「上」は鶏籠山の山上と解するよりは「ほとり」・「あたり」・「かたわら」・「付近」の意味 (注6) に解すべきだろう。いくら鶏籠が当時から天然の良港で鶏籠の原住民のケタガラン族が台湾の原住民としては温和だったとしても当時はスペインの統治前で少し首狩りの風習があったと推定され、公用で日本に行くのに途中で道も無い鶏籠山にわざわざ山登りしたとは考えにくいからである。
尚、鄭舜功は『日本一鑑』の「萬里長歌」部分で、「陳給事出使琉球時」として日本の「少納言」に相当する (注7) 明朝中国の官職名の「給事中」を省略して「給事」としている。「萬里長歌」は「歌」なのだから省略表記があっても不思議ではない。
付記 (2):
尾崎重義氏は『尖閣諸島と日本の領有権(緒論)(その2)』 (島嶼研究ジャーナル・第2巻1号・p.8-27)において、鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」中の釣魚嶼が尖閣諸島の魚釣島でない疑いがあると述べている。面倒なので石井望氏の主張のみに絞って批判した。
2019年3月6日 (2019年3月5日・当初版は こちら。)
御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 石井望氏・尾崎重義氏の『日本一鑑』に対する屁理屈 浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。(注1) 石井望著『和譯 釣魚嶼史三議』は下記urlでインターネット公開されている。
https://n-junshin.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=46&file_id=22&file_no=1
(注2) 石井望 著・『尖閣反駁マニュアル 百題』・集広舎・第1刷・p.295参照
(注3) 鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」に、「昔陳給事出使琉球時従其従人得此方程也」と書かれている事は以下の二点の中国語資料から確認でき、更に以下の一点の日本語訳資料もそれを支持する。
(中国語資料・1): 『日本一鑑の總合的研究 本文編』 (木村晟 編輯)・稜伽林 1996年4月発行 ・・・この資料は石井望氏も下記urlのブログ記事で引用している。
http://senkaku.blog.jp/2016092766167222.html
(中国語資料・2):田中邦貴氏のホームページ・[ 尖閣諸島問題 ] の [ 鄭舜功著 日本一鑑 ] の下記url画像
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/senkaku/nihonikkan-1555/08.jpg
(日本語訳資料):大友信一・刘震宇 (1983) : 岡山大学紀要・1983年12月・vol.4; p.250-236 中の p.247 も「陳という給事・・・」と書かれており、中国語原文が「昔陳給事出使琉球時従其従人得此方程也」である事を支持している。
(注4) 下記urlのwikisorceの『両種海道針経』参照。
(注5) 下記urlのwikisorceの夏子陽著『使琉球錄』卷上・使事紀 参照。尚、日本語訳は原田禹雄 訳注・『夏子陽 使琉球録』(榕樹書林) 、原田禹雄 著・『尖閣諸島 冊封琉球使録を読む』・榕樹書林・2006年1月17日発行・p.67参照。
https://zh.wikisource.org/w/index.php?title=使琉球錄_(夏子陽)/卷上&oldid=390710#使事紀
>二十四日黎明,開洋。
(注6) 下記の辞典サイト参照。
goo漢字辞典・「上」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/上/
>ほとり。あたり。
漢字ペディア・「上」
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0003478400
>ほとり。あたり。
[ 上(うえ)とは - コトバンク ]
https://kotobank.jp/word/上-33718
>デジタル大辞泉の解説
>・・・(中略)・・・
>8 付近。ほとり。
(注7) [ 給事中(きゅうじちゅう)とは - コトバンク ] 参照。