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 日中平和友好条約は全て棚上げの長期停戦協定

 

 

   通常は、戦争状態を終結させる平和条約 (講和条約) には領土や国境の変更があった場合は、その領土や国境の変更を規定する条項が盛り込まれるし、逆に、平和条約 (講和条約) を終了させる条項は盛り込まれない。しかも、第二次世界大戦終結に当たって日本が受諾したポツダム宣言・第八項には「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」との規定がある (注1) ため中国が「本州、北海道、九州及四国」以外に日本領と認める島を平和条約 (講和条約) に明記せねばならないのである。ところが、「日中平和友好条約 (日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約) 」 (注2) には領土や国境の変更を規定する条項が無く、逆に平和条約 (講和条約) を終了させる条項が規定されている。これでは実質的には平和条約 (講和条約) というより長期停戦協定である。いくら外務省が尖閣諸島問題に「棚上げ合意」が無かったと主張しても、「日中平和友好条約」の異常な内容は、尖閣諸島だけでなく沖縄や奄美諸島 (注3) の帰属まで全て棚上げにしてしまった事を雄弁に物語っているのである。

 

参考資料:日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約・第五条

 (外務省ホームページ資料・[ 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約 ]より抜粋)


1   この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。

付記:

 

外務省に、

日中平和友好条約以外で、領土や国境の変更があったにもかかわらず、その領土や国境の変更に言及していない平和条約 (講和条約) が過去にあったのか?

日中平和友好条約以外で、条約終了の条項が盛り込まれた平和条約 (講和条約) が過去にあったのか?

旨の質問をしたところ、日本が当事国の条約では「日中平和友好条約」のみとの事であったが、第三国どうしの条約では、承知してる範囲では無いが全部は把握していないのでわからないとの返答であった。そこで、高校の世界史に載っている1800年以降の主要な戦争の主要な当事国間の平和条約 (講和条約)について調べるよう要請した。


目次

2019年2月25日 (2016年12月6日・当初版は こちら 。)

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 日中平和友好条約は全て棚上げの長期停戦協定   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 下記urlの国会図書館ホームページ資料・[ ポツダム宣言 ]参照

http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html

 

(注2) 下記urlの外務省ホームページ資料参照。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_heiwa.html

 

(注3) カイロ宣言によって日本が中国へ返還義務を負う地域は、日本外務省によるカイロ宣言日本語訳では「日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域」となっているが、この日本語訳は誤りであって、実は英語正文では「all the territories Japan has stolen from the Chinese」 (日本国ガ中国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域) である。そのため、明朝中国時代に薩摩藩が明朝中国から冊封を受けていた琉球王国から武力で割譲を受けた奄美大島が含まれる余地がある。(ただし、元々、奄美大島は琉球王国成立前には日本領だった事もあったので「盗取」には当たらないと言えるが、中国の軍事力がアメリカを越えれば、カイロ宣言を根拠に奄美大島の返還要求の可能性も排除できない。)

 

国会図書館ホームページの「カイロ宣言」資料参照。

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/002_46/002_46tx.html

 

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