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 藤田豊八氏の「婆羅公管下密牙古」の「宮古島」比定は誤り

 

    藤田豊八著・『東西交渉史の研究 南海篇』(岡書院・昭和7年発行)の「琉求人南洋通商の最古の記録」の章(p.407-416)には「婆羅公管下密牙古」の比定(同定)ミスがある。尚、藤田豊八著・『東西交渉史の研究 南海篇』の昭和18年(1943年)再版は国会図書館により下記urlでインターネット公開されている。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1917926

   藤田豊八氏は『東西交渉史の研究 南海篇』において、万歴33年重修の『温州府志』第18巻に記載されている温州永嘉県に漂着した「婆羅公管下密牙古」の「密牙古」を沖縄の宮古島と比定(同定)し、宮古島島民がシンガポール海峡に向かって航海しようとしていたと解釈した。尚、藤田豊八氏は「婆羅公」の解釈に自信が無い旨を吐露していたが、問題はそこにある。

   婆羅とはボルネオ島またはボルネオ島のブルネイを意味する明時代の漢語である事を藤田豊八氏は愚かにも知らなかったのである。

wikipedia中国語版「汶莱」(2018年11月19日版) 参照。

>舊亦稱婆羅乃

wikipedia中国語版「婆罗洲」(2018年8月26日版) 参照。

インターネットが無かった時代だったとはいえ専門家失格とも言うべき重大な誤りである。

宮古島がボルネオ島の君主の支配下にはなかったので、「婆羅公管下密牙古」の「密牙古」は宮古島の「宮古」ではない。「婆羅公管下密牙古」の「密牙古」(現代のピンインでは「mì yá gǔ」)は「麻逸國」(現代のピンインでは「má yì guó」)と比定(同定)すべきと思われる。

wikipedia「麻逸國」(2017年8月9日 (三) 23:11编辑版) 参照。


付記(1):

万歴33年重修の『温州府志』第18巻はネット上の無料記事では見つけられなかったが、同様の記述が「中國哲學書電子化計劃」サイトの「光緒永嘉縣志 : 三十二 」にあった。

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=533298&searchu=婆羅公管下密牙古人

 

付記(2):

「婆羅公管下密牙古人」において「国」が「古」になっているのはカタコトの中国語を使ったのを表音表記したからと思われる。


目次

2018年11月28日 (2018年11月27日・当初版は こちら。)

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浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp