無料アクセス解析

台北政府がECAFE海底資源探査時に入手した地形図が中国領である事に気付かせた可能性

 

   尖閣諸島日本領論者は、1969年のECAFEによる海底資源探査で石油の埋蔵が有望視されてから、それまでは尖閣諸島が日本領だと認めていた中国政府 (台北政府を含む) が急に領有主張しだしたと批判しています。

   第二次世界大戦後、中国政府 (台北政府を含む) が尖閣諸島を日本領だと認識していたのは、錯誤 (勘違い) が原因と私は考えています。そして、その錯誤の原因は中国側の過失だけでなく、日本やフランスによる故意・過失も原因なので、中国政府は錯誤無効の主張ができると考えます。 (別記事 [ 尖閣諸島問題での国境の勘違いは国際法上訂正可能 ] 参照。)

   そして、その錯誤 (勘違い) に気付かせたのが、ECAFEによる東シナ海の海底資源探査時に当時の国連で中国を代表していた台北政府が派遣した石油探査技術者 (地質学者を含む) が入手した日本の陸地測量部が作成した昭和8年に発行した5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』における「黄尾嶼」・「赤尾嶼」という中国名と沖縄県と台湾の境界が不明な「一般図」であったと私は推測しています。尚、北京政府による領有主張は台北政府の領有主張を受けて気付いたからだと思われます。尚、5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』(昭和8年発行)は同地域の5万分の1地形図『魚釣島』が1966年発行されたため1966年に廃図になったと推定されますが、ECAFEの海上物理探査専門家会議が1965年7月に開催 (注) されており廃図直前に台北政府の石油探査技術者 (地質学者を含む) が入手したと推測されます。

 

   尚、1969年以前の台北政府公認の地図にも小さな字で「黄尾嶼」・「赤尾嶼」と記載されていたようですが、台湾の地図作成者が「やっつけ仕事」で日本の地図を写しただけで真剣に認識していなかったと考えられ、真剣に「黄尾嶼」・「赤尾嶼」という中国名と向き合ったのは1969年のECAFEによる海底資源探査で日本の昭和8年発行の5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』を入手して検討した時だったと思われます。

   また、台北政府側が気付いてなかったかもしれませんが、実は昭和8年発行の5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』の右下の「一般図」には鹿児島県と沖縄県との県境には行政区画の境界線が引かれているにもかかわらず、沖縄県と台湾の間に行政区画の境界線が無く、昭和8年発行の5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』作成者の大日本帝國陸地測量部が自然地理学的にも歴史的・人文地理学的にも尖閣諸島を下関条約で日本に割譲された台湾の附属島嶼と認識していた事を示していると考えられます。


付記:

 

   1965年のECAFEによる海底資源探査で、「台湾-宍道褶曲帯」がクローズアップされ、尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) が台湾の附属島嶼である事が地質構造からも明らかだという認識が広まった事も、台北政府が尖閣が台湾附属島嶼で中国領だという認識を強めた原因の一つかもしれません。


目次

2018年3月8日 (2016年10月18日・当初版は こちら 。)

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


参考サイト:

 

国土地理院 WEB サイト における旧版『吐ロ葛喇及尖閣群島』表示

http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1743982&isDetail=false

説明は下記url参照。

http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?searchMethod=2&zoomLevel=11&listNumber=164-14-9#1

 

wikipedia「台湾-宍道褶曲帯」

https://ja.wikipedia.org/wiki/台湾-宍道褶曲帯


(注) 早川正巳 (1966): 『バンコックにおける国連ECAFEの海上物理探査専門家会議に出席して』 石油技術協会誌 第31巻1号p.12-15 参照。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt1933/31/1/31_1_12/_pdf