なぜ琉球に向かう冊封船は台湾北部に回り道してたのか?
明朝・清朝中国の冊封船は、台湾本島の北端から南風を利用し、狭義の大陸棚の辺縁にある小鶏籠嶼 (基隆嶼)・花瓶嶼・彭佳嶼・釣魚嶼 (魚釣島)・黄尾嶼 (久場島)の西側を経由して、狭義の大陸棚の辺縁からわずかに離れた赤尾嶼 (大正島)のすぐ西北にたどり着き、そこから一気に久米島を目指して黒潮本流を渡るのを理想的航路と考えていた。(ただし、当時の帆船での航海では気象条件等によって理想的航路からはずれる事が多かった。)
問題の所在: 明朝・清朝中国の理想的航路では、冊封船は福建の福州から沖縄本島の那覇への直線航路を採らずに、わざわざ福州から台湾北部に南下していた。回り道を理想航路とした理由を考察する。 |
わざわざ福州から台湾北部に南下する回り道を清朝中国の冊封船が採った理由は安全のためだった事が18世紀前半に清朝中国に布教に来ていたイエズス会のゴービル (Gaubil) 神父がフランス本国に宛てた書簡に記されている (注1-1) (注1-2)。
清朝中国の船乗りが安全のためと考えた理由は三つある。
第一の理由は、沖縄本島と宮古島の間は約270kmも離れており、当時の中国船は経度測定できなかったので、気付かないうちに東シナ海から狭義の太平洋に出てしまう危険を防止するため。
第二の理由は、釣魚嶼 (魚釣島) より南で微弱な南風の場合に黒潮本流に乗ると、対気速度がゼロ近くになり、帆船の操船ができなくなり、黒潮本流が南面に当たる釣魚嶼 (魚釣島) 周辺の暗礁地帯まで漂流して座礁する危険を防止するため。尚、清朝中国の船員は、微弱な南風の場合に黒潮本流に乗ると対気速度がゼロ近くになる事を知っていた事を冊封船に乗船同行した王文治著『夢樓詩集』(一)「渡海吟」に黒水溝に入ると北風が吹くとした表現がある (注2-1) (注2-2) (注2-3)。微弱な南風で黒潮本流に乗ると対気速度がゼロ近くになり概ね無風状態になるが、風には強弱があるので弱い北風も混じるのであろう。詩なので、その事を誇張しているため日本領論者の石井望氏は皮肉っている (注2-2)。
第三の理由は、現代では根拠の無い杞憂と考えられているが、『元志』の琉求伝には危険水域を意味する「落漈」との単語があり (注3)、川の様に流れる黒潮の流れを見てどこかに落ちるのではと恐れた事が推察される。
上記の第二の理由と第三の理由に関連して、明朝・清朝中国の船乗りは黒潮本流の流れる水深の深い沖縄トラフを「溝」と呼んで恐れていた (注4-1)。ちなみに琉球の水先案内人は「溝」の存在を否定していた (注4-2)。尚、最終氷期の海水面は現在より120mないし135mほど低かったとされる (注5)。氷河期に陸地または干潟だった狭義の大陸棚の水深は (氷河期終了後の気温上昇に伴う海面上昇により侵食を受けたとしても) 概ね135m以浅で、「溝」は水深135m超なので、肉眼での識別は困難だったと考えられる。ロープにつながった直径30cmの白色円盤を海中に投入して測る海水の透明度では世界で最も透明な海でも70m程度だとされているからである。ただし、船から一望できる海底の面積は直径30cmの円盤の面積より桁外れに広いので、狭義の大陸棚と「溝」の境の水深を水深120mと仮定すれば天候や太陽の位置等の条件によっては若くて (注6) コントラストの微妙な差に敏感な者なら識別できた可能性は排除しない。しかし、尖閣諸島付近では水深135m程度で急激に傾斜がきつくなるようなので、最終氷期の堆積を考慮した狭義の大陸棚とそれより深い海底の「溝」との境界の水深を約135mだと仮定すると、水深135mの大陸棚と「溝」の境界を識別するには肉眼に頼らずロープに錘を吊り下げて測深していたのだろう。中国は宋時代から水深200m強まで測深する技術があった (注7) からである。
2019年3月4日
御意見・御批判は対応ブログ記事・[ なぜ琉球に向かう冊封船は台湾北部に回り道してたのか? 浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。(注1-1) "Lettres édifiantes et curieuses, écrited des Missions Étrangères"中のGaubil神父著"Mémoire sur les îles que les Chinois appellent îles de Lieou-kieou " の Google book 版 のp.522参照。
(注1-2) 『イエズス会士中国書簡集 5 』 矢沢利彦 編訳・平凡社 (東洋文庫) ・1987年1月20日 初版第2刷・p.217 参照。
(注2-1) 王文治 著『夢樓詩集』(一)「渡海吟」, 下記urlの [ 中国哲学書電子化計画 ] サイト画像参照。
https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=41465&page=68
>黑水之溝深以墨渾沌如遊蓬古初元黃不辨乾坤色那須然犀更照耀諷諷陰風戰毛骨
(注2-2) いしゐ のぞむ (石井望) 著・『尖閣反駁マニュアル 百題』・第32題・第1刷p.239-240 参照。
(注2-3) 韓結根 著・『釣魚島—歷史的真相與故事』・p.123 参照。
(注3) Chinese Text Project による下記urlの 『元史』の「列伝第九十七 外夷三」の一節参照。
https://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=862002&searchu=落漈&remap=gb
>近琉求则谓之落漈,漈者,水趋下而不回也。
(注4-1) 原田禹雄 著・『尖閣諸島 冊封使琉球録を読む』p.23-25
(注4-2) 原田禹雄 著・『尖閣諸島 冊封使琉球録を読む』p.25, p.99 参照。
(注5) 下記urlの日本第四紀学会ホームページ記事参照。
http://quaternary.jp/QA/answer/ans012.html
>最終氷期の最寒冷期(カレンダー年代で2.1±0.2万年前)に海洋全体で 海水準がどの位低下したか
>(最近は120~135mという説が有力になってきている) 正確にはまだ判っていない
(注6) 何十年も航海していると自覚症状が無くても軽度の白内障になるだけでなく、高齢になると黒と紺色の識別が困難になる。
高齢になると黒と紺色の識別が困難になる事については、NHK『ガッテン!』2016年10月5日放送 [ これって見間違い?目の異常が引き起こす大事件 ] 参照。
NHKホームページの下記urlに要約記事あり。
http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20161005/index.html?c=health
http://www9.nhk.or.jp/gatten/pdf/program/P20161005.pdf
(注7) [ 指南針與古代航海 ] サイトの下記urlの記事参照。
https://hk.chiculture.net/0802/html/c18/0802c18.html
>宋朝已可以測定水深七十多丈了。