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 釣魚嶼 (魚釣島) の軍事的価値の変遷

 

   釣魚嶼 (魚釣島) は標高362mなので山頂の最高地点は晴れた日中なら70km程度まで見通せる (注) 。また、明朝・清朝時代には中国皇帝からの高価な下賜品を満載した進貢船 (朝貢船) や冊封船が釣魚嶼 (魚釣島)を航路の目標にしていたため、もし仮に、万が一、海賊が釣魚嶼 (魚釣島)に望楼を建設すれば進貢船や冊封船が海賊に襲われる危険性が高くなったであろう。そのため、明朝中国は釣魚嶼 (魚釣島) を海防範囲に組み入れたと考えられる。また、清朝初期には清朝打倒を目指した鄭氏が台湾に拠点を置き日本から軍事物資を輸入したので、それを阻止するために清朝は鄭氏制圧作戦で一時的に釣魚嶼 (魚釣島)を泊地としたと考えられる。(別記事・[ 清朝水軍が鄭氏台湾対策で釣魚嶼を泊地にした可能性と『台海使槎録』 ] 参照)

   日本は日露戦争で旅順港のロシア旅順艦対への攻撃に直接照準ではなく高所からの測量して照準して砲撃したが、もし仮に、その高所からの測量による照準での砲撃という発想が10年前の1895年にあれば、釣魚嶼 (魚釣島) の標高362mの山頂の最高地点からの測量による砲撃ならば敵艦には見えない釣魚嶼 (魚釣島) の島影に日本海軍の軍艦が隠れて砲撃しうる事になり、軍事的価値は高かったであろう。

   ところが、大正時代末期から艦載機の登場により飛行機による偵察が可能になり、(仮に建設しても)望楼の価値は低下した。

   その後、第二次世界大戦でレーダーによる索敵が実用化された。第二次世界大戦末期に沖縄を占領したアメリカ軍はレーダーによる索敵効果を評価していた。特に、朝鮮戦争勃発後は、万が一、ソ連や中国が釣魚嶼 (魚釣島)にレーダーを設置すると面倒な事になると危惧したと思われる。

   さらに、海底設置ソナー網(SOSUS)の開発により、もし仮に釣魚嶼 (魚釣島)を含む冊封使航路列島にそってSOSUS設置すれば中国潜水艦が大陸棚から出れば発見でき、中国潜水艦を「池の鯉」状態にできるようになった。

   また、ステルス航空機が登場した現代では、釣魚嶼 (魚釣島)の山頂の最高地点に高性能赤外線カメラを設置すればステルス航空機も発見されやすくなり、ステルス航空機を重用するアメリカ軍としては人民解放軍が釣魚嶼 (魚釣島)の山頂の最高地点に高性能赤外線カメラを設置すると困ると考えていると思われる。

   台湾の台北政府は、もし仮に人民解放軍が釣魚嶼 (魚釣島)の山頂の最高地点にレーダーや高性能赤外線カメラを設置すると、人民解放軍が台湾を急襲した場合に沖縄に駐留するアメリカ軍戦闘機の救援に支障を来たすと怖れていると思われる。


目次

2016年12月15日

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浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注) 見通し距離は上空ほど大気の密度が低い事によって光が下方に曲がる「大気差」という現象を考慮した CASIOの高精度計算サイト地上から見渡せる距離 で見通し距離をで計算すると、標高362mの釣魚嶼(魚釣島)最高点の見通し距離は約72km程度である。目標が船全体のように大きければ、釣魚嶼 (魚釣島) の標高362mの山頂の最高地点からは肉眼でも視力が良ければ晴れた日中には約70km遠方の船が発見できるし、有能な見張りが高性能な望遠鏡を使えば船のマストの先端はさらに10km以上遠方、すなわち80km以上の遠方でも発見できる可能性はある。

 

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