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 戦前、沖縄漁民は台湾から尖閣に出漁

 

 

   台湾の元・総統の李登輝氏は2002年に沖縄タイムスのインタビューで、「戦前の日本の国会は、尖閣諸島と与那国、基隆(キールン)の漁業権を台湾に譲っている。」と述べた (注1) 。ただし、私が国会図書館の「帝国議会会議録検索システム」で少し調べたが議事録を発見できなかった。日付が判らないと探すのは困難である。現時点では裏付け確認できていないため真偽不明な情報だが、後述のように漁業実績や戦前から1947年頃まで、沖縄県の漁民が、わざわざ、台湾北部の基隆市に出稼ぎ・移住し基隆漁港から尖閣諸島に出漁していた事実から真実である可能性も排除できない。(逆に、李登輝氏が日本との漁業交渉で台湾に有利になるように真偽を確かめずに裏付け無しで台湾漁民のウワサをそのまま述べた可能性も排除できない。)

   尚、類似の話で、中国領論者の中には日本の裁判所が尖閣諸島の漁業権を台湾側に認めたとの主張もあり、私は少し判例集を探したが発見できなかった。これは疑わしいとの印象を持った。こちらは事件番号か判決日付を示さなければデマとみなさざるをえない。

    尖閣諸島での状況は、原因不明だが、ともかく、古賀辰四郎氏の跡を継いだ古賀善次氏は大正時代の終わりか昭和初期に尖閣諸島での事業を大幅縮小し、遅くとも昭和15年には尖閣諸島は無人島に戻っていたようである。しかし、領土紛争発生後の1979年のインタビューで古賀花子氏は昭和16年まで鰹節工場を操業してたと主張した (注2) ところが、1940年(昭和15年)に発生した「大日本航空阿蘇号不時着事故」から1940年(昭和15年)時点で無人島だった (注3) のでウソだとわかる。昭和5年当時、古賀善次氏が尖閣諸島に番人を3人置いていたとの新聞記事 (注4) も現地に行かなかった新聞記者が古賀氏側への取材から得た情報の疑いがあり、尖閣諸島に現地調査に行った沖縄営林署職員の談話には番人の話がなく「無人島」と表現し「十六日間も滞在して居ましたが、別に淋しいという感じは起こりませんでした。」と述べている事から、昭和5年当時に番人を3人置いていたというのも真偽不明との印象を私は抱いている。その新聞記事にも「俗に言う無人島」とあり、昭和5年当時から先島地方では尖閣諸島が「無人島」と呼ばれていたようである。

    そして、大正中期以降から第二次世界大戦終結までの日本海軍水路部作成の水路誌の魚釣島の解説にも台湾漁船の出漁が沖縄からの出漁より優先して記載されている (注5) (注6) (注7)

   更に、驚くべき事には、戦前から1947年頃まで、沖縄県の漁民が、わざわざ、台湾北部の基隆港口にある社寮島 (注8) に出稼ぎ・移住して沖縄県民の集落を形成し、台湾から尖閣諸島に出漁していたのである (注9) (注10) 。

   尚、戦前から1947年頃まで、沖縄県の漁民が台湾から尖閣諸島に出漁していた原因は、上述のように戦前の日本が尖閣諸島の漁業権を台湾に譲っていたのが原因だったのか、それとも、行政の不作為により尖閣諸島の港湾が未整備で古賀辰四郎氏が作成した船着場しかなく非常に小型の漁船しか着岸できず操業効率が悪かった事が原因であったのか現時点では断定できない。いずれにせよ、台湾から尖閣諸島に出漁した漁船による漁業実績は重く受け止めるべきである。


目次

2018年2月28日 (当初版は こちら 。)

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 戦前、沖縄漁民は台湾から尖閣に出漁   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) 沖縄タイムスHP 「特集 沖縄の海図・メッセージ復帰30年」 参照

http://www.okinawatimes.co.jp/spe/kaizu20020924.html (消滅した元の記事のurl)

https://web.archive.org/web/20021026180419/http://www.okinawatimes.co.jp/spe/kaizu20020924.html (Internet Archive による復元)

>戦前の日本の国会は、尖閣諸島と与那国、基隆(キールン)

>の漁業権を台湾に譲っている。戦後になって、日本政府は何も

>言ってこない。真剣に考えてほしい。

 

 

   尚、そのインタビューで李登輝氏は「尖閣諸島の領土は、沖縄に所属しており、結局日本の領土である。」とも述べているが、これは総統引退後の国際法上の根拠の無い、台湾としての損得勘定による発言で、もし仮に日本が尖閣諸島を台湾に返還すれば、北京政府が魚釣島にレーダーや赤外線望遠カメラ等の軍事設備を設置し人民解放軍が台湾進攻した場合に沖縄駐留アメリカ軍のステルス機による救援が困難になり、尖閣諸島周辺の漁場も地下資源も北京政府に接収される可能性が高く、台湾としては逆に大損で窮地に追い込まれる危険があるからであろう。真実を述べてる訳でもないし、現役の総統でもないので、その部分はほとんど無意味な発言である。尚、同様に、鳩山由紀夫・元日本首相の尖閣諸島中国領論発言も国際法上の根拠が不十分な発言で国際法上はほとんど無意味な発言である。

(注2) 尖閣諸島 (冊封使航路列島北部) 開拓者の古賀辰四郎氏の息子の古賀善次氏の妻である古賀花子氏は尖閣諸島の領有問題発生後に尖閣諸島で鰹節工場を「昭和十六年まで」 していたと述べている。

 『沖縄現代史への証言・下』(1982年2月発刊)の古賀善次氏の妻、花子氏へのインタビュー記事参照。
(田中邦貴氏のホームページ [ 尖閣諸島問題 ] の『古賀花子へのインタビュー in 1979』参照)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kogazenji/index.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

 

(注3) Weblio辞書「大日本航空阿蘇号不時着事故の概要」(wikipedia2018年1月15日 05:23 UTC 版) 参照。

この事件は事件当時の1940年(昭和15年)時点で、魚釣島 (釣魚嶼) が無人島だった事を証明する決定的事件である。

https://www.weblio.jp/wkpja/content/大日本航空阿蘇号不時着事故_大日本航空阿蘇号不時着事故の概要

 

(注4) 昭和5年7月28日・先嶋朝日新聞 第3面記事『この頃無人島 古賀氏より拂下出願』 (石垣市「尖閣諸島関連データベース」)参照。

http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/senkaku/detail.php?id=20104&era=s

 

(注5) 旧・日本海軍・水路部作成・『日本水路誌 第六巻』・p.186-187参照。ただし、「尖頭諸嶼」部分では八重山方面からの出漁のみ記載されている (p.184参照) 。

Google books でPDFダウンロード可能。(ただし、一部読み取り不能。)

国会図書館デジタルコレクションで多くの公立図書館で閲覧可能。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10304596

 

(注6) 旧・日本海軍・水路部作成・『台湾南西諸島沿岸水路誌』・(昭和7年7月刊行)・p.126-127参照。ただし、「尖頭諸嶼」部分では八重山方面からの出漁のみ記載されている (p.125参照) 。

 

(注7) 旧・日本海軍・水路部作成・『台湾南西諸島水路誌』・(昭和16年3月刊行)・p.137及びp.138参照。ただし、「尖頭諸嶼」部分では八重山方面からの出漁のみ記載されている (p.135参照) 。

 

(注8) 台湾の基隆市の基隆港口にある島で、現在の島名は「和平島」で、古来の島名は「大鶏籠嶼」で、東岸に八尺門漁港 (広義の「基隆港」の一部) がある。

 

(注9) 尖閣諸島文献資料編纂会 編・尖閣研究 尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告 ― 沖縄県の漁業関係者に対する聞き取り調査 2012年 PDF・p.380 参照。

http://fields.canpan.info/report/detail/19232

 

(注10) 中国語版wikipedia「和平島」参照。

https: //zh.wikipedia.org/wiki/和平島

>史稱「社寮島事件」。當時島上還具有琉球人的聚落,其中約有三十餘名琉球居民