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奥原敏雄氏はパルマス島判決を読んでないのか?

 

   

  尖閣諸島領有問題の論客の故・奥原敏雄氏は国際法が御専門らしかったが、国際法学者らしからぬ論理展開で井上清氏の揚げ足取りをしている (注1)

  井上清氏の著書・『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』中の文章の「したがって琉球人のこの列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった。」という文章は、洪武帝による朝貢の招諭以前には琉球人は知識が無く、招諭以後に琉球は中国から尖閣諸島について知識を得たという意味ならおそらく正しいし、冊封使・陳侃の冊封航行については琉球側から冊封船に看針通事や夥長という水先案内人・航海士が派遣されていたものの看針通事や夥長が洪武帝が琉球に航海技術指導で派遣した閩人 (福建省人) の子孫が通訳や航海士を世襲した可能性が高いので、正しい可能性が高い。しかし、陳侃の帰国後に第12代皇帝世宗が嘉靖二十六年 (西暦1547年) 十二月に二重国籍を禁じた (注2-1) (注2-2) ので、以後は、たとえ閩人の子孫であっても琉球に派遣された者の子孫は中国籍はなく琉球籍のみになった可能性が高い (注3) ので、井上清氏の「したがって琉球人のこの列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった。」という文章は嘉靖二十六年 (西暦1547年) 十二月以降については誤っている。

 

   問題なのは、奥原敏雄氏は冊封使の陳侃 (ちんかん) が著した『使琉球錄』や、おそらく陳侃の『使琉球錄』を言い直しただけの鄭舜功著『日本一鑑』の「萬里長歌」中の記述 (注4) によって揚げ足取りするならまだしも、あろうことか奥原敏雄氏は琉球王国の進貢船 (朝貢船) の尖閣諸島周辺海域航行回数が中国の冊封使船の航行回数より桁外れに多く航行していたとして批判している。国際法学者が尖閣諸島領有問題で、そのような批判をするのは国際法学者として失当である。パルマス島事件判決ではオランダがパルマス島近くの大きな島の大酋長二人を冊封し、彼らにパルマス島を支配させていた事がオランダの間接的支配として認められているからだ。 ( 私の別記事 [ パルマス島事件判決はオランダに冊封された大酋長による間接的支配を有効とする ] 参照。 )

  すなわち、尖閣諸島の場合、中国は冊封船が尖閣諸島を航路目標として20回以上利用 (副次的に巡回) しただけでなく、その十倍以上の回数を、中国皇帝の家臣である琉球王の家臣が操船する進貢船等が利用 (副次的に巡回) によって、中国は間接的に利用 (副次的に巡回) した事になるのだ。これは洪武帝が当初は船を供与し航海技術者を派遣した事を考えればパルマス島事件判決以前の常識である。


(注1) 奥原敏雄(国士舘大学助教授・国際法)著・『動かぬ尖閣列島の日本領有権(-井上清論文の「歴史的虚構」をあばく-)』 の

[ 尖閣諸島の領有権問題 ]サイトの 「参考資料(1) 論文・書籍05」における転載記事参照。

http://senkakujapan.nobody.jp/page009.html

 

(注2-1) いしゐのぞむ 著『尖閣反駁マニュアル百題』 (集広社・平成26年6月7日) p.293-294 参照。

>三十六姓は皇帝から琉球國に下賜されて琉球人となった以上、明國では戸籍財産 (主に不動産) を持ってはならないと、皇帝自身がわざわざ述べた記録である。

 

(注2-2) 大明世宗肅皇帝實錄卷三百三十一・嘉靖二十六年十二月辛亥

(中國哲學書電子化計劃)

http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=942082

>上曰陳賦無罪給賞如例蔡廷會交結朝臣法當重治念屬貢使姑革賞示罰蔡璟既永樂中從夷何得於中國置產立籍

 

(注3) 皇帝が二重国籍を禁じても琉球に派遣された閩人 (福建省人) が中国人意識を持ち続ける可能性がある。中国人は祖先の墓のある祖籍を大切にするからである。それゆえ、二重国籍を禁じた皇帝が死去して代替わりすれば、明王朝自体も琉球に派遣した閩人の中国籍を黙認した可能性もある。

ちなみに、ペルーのフジモリ・元・大統領も日本の国籍法に違背して日本国籍を隠し持っていたくらいであり、その日本の国籍法違背の日本国籍保有ゆえに日本への亡命を認めたのである。(別記事・ [ フジモリ氏の日本国籍と日本政府のトリック ] )

尚、日本の民進党代表で日本の国会議員の蓮舫氏が最近まで中華民国籍を保有していたのは、中華民国の国籍法・第11条 (行政書士OFFICE LEEのサイトの中華民国の国籍法・第11条の日本語訳参照) が父親が中華民国籍の場合は外国人と結婚しない限りは中華民国籍が離脱できないという非現代的規定がある事と、日本の国籍法に欠陥があったため、22歳を越えて結婚された蓮舫氏の場合は中華民国籍を離脱してなくとも違法ではなかった。ただ、その事を説明できなかった事は蓮舫氏にも国会議員としての能力に問題があったと思われる。

 

(注4) 鄭舜功著『日本一鑑』の桴海図経・巻一 (「萬里長歌」) に「昔陳給事出使琉球時従其従人得此方程也」とあるのは、鄭舜功が広東省の民間人であって陳侃と面識がなかったであろう事を考慮すれば、陳侃が著した『使琉球錄』の一節を言い直したにすぎない。尚、更に、奥原敏雄氏は、「鄭舜功自身も日本へ渡るにあたって海上知識の大部分を寧波などに居住する日本人多数からえたとのべている」としているが、私が桴海図経・巻一 (「萬里長歌」) を見た限りでは、そのような記述は見つける事はできなかった。


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2016年10月7日

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浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp