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   ゴービル神父の琉球地図の主要地点の緯度・経度

 

    18世紀に清朝中国に滞在したGaubil神父は、冊封副使・徐葆光の著書『中山伝信録』の要約と、琉球王国とそれに到る冊封使航路の島の緯度・経度を示す手書きの地図を、フランス本国のイエズス会に送った。それらは、その後、百年間ほど欧米人の琉球王国とそれに到る冊封使航路の島に関する重要な知識となった。そのGaubil神父の琉球王国とそれに到る冊封使航路の島の緯度・経度の精度を以下で検証する。(Gaubil神父の手書きの地図 (注1) は緯度・経度が読み取りにくいので、その手書きの地図を基に印刷された地図で検証する。)

   上掲の地図は、"Lettres édifiantes et curieuses, écrited des Missions Étrangères"中の"Mémoire sur les îles que les Chinois appellent  îles de Lieou-kieou "(『シナ人が琉球諸島と呼ぶ諸島についての覚書』) (p.520-) の附属地図で、Gaubil神父の手書きの地図 (注1) を基に作成された地図である。細部においては微妙に異なる部分がある。

   尚、そこで使われている経度は「フェロ子午線」 (wikipedia「フェロ子午線」参照) が基準と考えられ、グリニッジ基準経度より約17度40分ほど数値が大きい。

( 下図はYasuko D’Hulst著『19世紀、琉球王国に関するフランスの海軍・宣教・外交史料』 より引用した。ただし、基になった Gaubil 神父の手書きの地図は18世紀に作成されたものである。)

緯度・経度は以下のように読み取れた。(読み取り誤差は5分程度)

 

Tiaoyu su (釣魚嶼・魚釣島):北緯25度31分、 フェロ経度140度50分 (グリニッジ東経123度10分) [ wikipedia「魚釣島」の緯度・経度:北緯25度45分、東経123度28分 ] (緯度誤差14分、経度誤差18分)

Hoangouey su (黄尾嶼・久場島):北緯25度28分、フェロ経度141度27分 (グリニッジ東経123度47分) [ wikipedia「久場島」の緯度・経度:北緯25度55分、東経123度41分 ] (緯度誤差27分、経度誤差6分)

Tchehoey su (赤尾嶼・大正島):北緯25度38分、フェロ経度143度17分 (グリニッジ東経125度37分) [ wikipedia「大正島」の緯度・経度:北緯25度55分、東経124度34分 ] (緯度誤差17分、経度誤差1度03分)

Kilongchan (鶏籠城・和平島):北緯25度33分、 フェロ経度139度27分 (グリニッジ東経121度48分) [ wikipedia「和平島」の緯度・経度:北緯25度10分、東経121度46分 ] (緯度誤差23分、経度誤差2分)

ただし、Gaubil神父の前任者のイエズス会宣教師達が作成した『皇輿全覧図』のKilongchan (鶏籠城・和平島)の緯度についての私の目測による読み取り値は北緯25度17分 (注2) でありGaubil神父は『皇輿全覧図』の緯線が0.5度間隔なのに1度間隔と誤解して読み取り間違いしたと思われる。

 

沖縄本島北端の緯度:北緯27度53分 [ wikipedia「沖縄本島」による北端の緯度:北緯26度53分 ] (誤差1度00分)

沖縄本島南端の緯度:北緯25度38分 [ wikipedia「沖縄本島」による南端の緯度:北緯26度04分 ] (誤差26分)

Cheouly Palais du Roi (首里王宮):北緯25度58分、フェロ経度146度23分 (グリニッジ東経128度43分) [ wikipedia「首里城」の緯度・経度:北緯26度13分、東経127度43分 ] (緯度誤差15分、経度誤差1度00分)

ただし、Gaubil神父の印刷版の地図の基になった手書きの地図 (注1) のCheouli Palais du Roi (首里王宮)では緯度は26度00分なので、緯度の誤差は13分である。

 

   尚、冊封副使・徐葆光の著書『中山伝信録』 巻四 「星野」によれば琉球の緯度が「二十六度二分三厘」 (26.23度) (注3-1)  (注3-2) とあり、琉球の緯度とは首里城 (26.22度) の緯度を意味すると思われるので、Gaubil神父の琉球地図より徐葆光 著『中山伝信録』 の方がはるかに正確と思われる。『中山伝信録』の「二十六度二分三厘」の「分」は「何割何分何厘」との十進法の意味であるのに、Gaubil神父は『中山伝信録』の「二十六度二分三厘」の「分」を60進法の「分」と勘違いしたのかもしれない。これは徐葆光が『中山伝信録』 で経度に関しては60進法の「分」を使用し、緯度で「何割何分何厘」との十進法を混在した紛らわしい表記をした事に原因がある。

 

   以上の結果から、尖閣諸島は実測してなかったため、赤尾嶼 (大正島) の経度の誤差は1度3分と大きかったが、意外にも、釣魚嶼 (魚釣島) や黄尾嶼 (久場島) の誤差は緯度・経度とも0.5度未満 (30分未満) であった事が分かる。また、緯度の測定誤差は陸上での測定 (注4) では当時でも0.2度未満であったので、沖縄本島北端の緯度の誤差が1度00分というのは現地で測定したとは考えられない。琉球王府 (または裏で実権を握っていた薩摩藩) は沖縄本島北端や南端の測定をさせなかった疑いが濃厚である。


付記:

 

   台湾本島西部についてはすでに18世紀初頭にGaubil神父の前任者のイエズス会宣教師達が清朝中国皇帝の命によって緯度・経度が示された近代的実測図である『皇輿全覧図』 を作成していたが、その『皇輿全覧図』 の完成直後に琉球王国に向けて出発した冊封使船は中国人の測量技師二名が乗船していた (注5-1) (注5-2) 。しかし、予定されていた冊封使航路の島の付近を通過しなかった。

   そのため、Gaubil神父は『皇輿全覧図』 における鶏籠城 (和平島)の緯度・経度と冊封副使・徐葆光の著書『中山伝信録』の首里城の緯度・経度と17世紀以前の冊封使録に添付された「過海図」を参考に航路上の島の緯度・経度を推測したものと思われる。しかし、「過海図」の航行距離は木屑を海面に投げて海水に対する船の速さを基に算定されていたため潮流が無視されており強い黒潮によって船が北に流されていた事が考慮されてなかったようである。


目次

2017年1月15日

御意見・御批判は対応ブログ記事・[ ゴービル神父の琉球地図の主要地点の緯度・経度   浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp


(注1) Gaubil神父がフランス本国のイエズス会に送った手書きの"Carte des Isles de Liéou-Kiéou" ( フランス国立図書館蔵・電子図書館Gallica展示 )

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b8494431q.r=gaubil.langFR

 

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(注2) 下掲の『皇輿全覧図』(福建図)の鶏籠城の緯度参照。(緯線が0.5度間隔になっている事に注意)

上掲の『皇輿全覽圖』 (福建図)は、 アメリカ連邦議会図書館 ( The Library of Congress ) が下記urlにて公開されている画像を引用。

https://www.loc.gov/item/74650033/

 

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(注3-1) wikisource「中山傳信錄」(卷四) 参照。

https://zh.wikisource.org/wiki/中山傳信錄/卷四

今測,琉球北極出地二十六度二分三釐

 

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(注3-2) 琉球側の記録『球陽』にも『中山伝信録』と同じ値の琉球の緯度の記録がある。おそらく1719年の尚敬王の冊封使節団の中国側の測定記録を『中山伝信録』から転記したものであろう。

wikisorce「球陽記事(卷之一・國初)」参照。

https://zh.wikisource.org/wiki/球陽記事/卷之一#.E5.9C.8B.E5.88.9D

>琉球:北極出地二十六度二分三釐

 

尚、その解釈が下記の瀬名波任 著『球陽に見られる地学関係の記述について』PDFにある。(ただし、なぜか瀬名波任氏は琉球王国時代に存在しなかった市役所の緯度と比較されているが、私は首里城の緯度と比較すべきものと考える。)

http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/issue/bulletin/image/kiyou21/21-4.pdf

 

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(注4) 1719年当時、揺れる船上で角度計測できる八分儀も六分儀も実用化されてなかったので揺れる船上での緯度測定では誤差が大きかったが、陸上では1719年当時から存在した象限儀 (四分儀) による緯度測定は八分儀や六分儀に遜色なかった。ちなみに伊能忠敬も象限儀 (四分儀) を使用した。

 

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(注5-1) 徐葆光 著『中山伝信録』(巻四)・「星野」参照。下記はwikisourceの徐葆光 著『中山伝信録』(巻四)のurl。

https://zh.wikisource.org/wiki/中山傳信錄/卷四

>上特遣内廷八品官平安、監生豐盛額同往測量。

 

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(注5-2) 夫馬進 編・岩井茂樹 著・『増訂 使琉球録解題及び研究』・榕樹書林・1999年9月15日発行・[ 徐葆光撰『中山伝信録』解題 ]参照。

 

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