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19世紀における台湾先住民へのアメリカの武器供与は悲劇をもたらした
(20世紀後半にフセインに生物兵器を供与しビン・ラディンにスティンガーミサイルを供与した危険国家・アメリカは、19世紀の台湾にも武器供与していました。)
1. 台湾先住民とウィンチェスターライフル
私は図書館で、林えいだい編「台湾植民地統治史」という写真集でウィンチェスターライフルを持つ台湾先住民成年男性の19世紀末か20世紀初頭のもの(明治時代後期とのキャプション有り)と思われる写真(注1)を見て不思議だなとじーっと見てました。というのは台湾は19世紀末までは清朝中国領(注2)で、19世紀末に日本領になったからです。しかも、ウィンチェスターライフル自体19世紀後半に登場した高価な新兵器だったからです。だから台湾先住民がウィンチェスターライフルを持っているのが不思議だったのです。
(林えいだい 編・「台湾植民地統治史」・梓書院・平成7年9月25日発行・p.12下段中央写真)
私がたどり着いた結論は、そのウィンチェスターライフルは台湾が日本領になる以前に清朝中国政府を無視してアメリカ(注2)が台湾先住民に供与したものだという事です。
19世紀の台湾先住民へのウィンチェスターライフルの供与だって民族解放のために供与したのでないのは明白です。その同じ頃、アメリカは本土のウーンデッドニーではインディアン虐殺をし、ハワイではハワイ王国を併合したからです。しかも、アメリカが台湾本島先住民が首狩の風習(注3)を持っているのを知っており、ウィンチェスターライフルを供与すれば、台湾に首狩のための殺戮の嵐が吹き荒れるのを承知で供与したのです。また、清朝中国の台湾統治が困難になる事も重々承知の上で供与したのです。実際、19世紀後半になって欧米諸国や日本の領土欲の脅威に対抗し台湾東岸や中央山岳地帯の実効支配のため大軍を送り込んだ清朝中国は先住民の反撃にあって大敗北したのです。当時の台湾に駐留していた清朝政府軍の装備は有効射程が短く連射できないマスケット銃(先込め単発滑腔銃)だったはずですので、有効射程距離が長く連発のできるウィンチェスターライフルを持った先住民に大敗北したのも無理はありません。
2. フセインに生物兵器を供与し、ビン・ラディンにスティンガーミサイルを供与した危険な国・アメリカ
20世紀末に、アメリカはビン・ラディンのアルカイダに当時の最新テクノロジーの携帯式滞空ミサイルのスティンガーミサイルを供与しただけでなく、先日のNHKの番組(注4)によればフセイン独裁政権のイラクに対イラン戦闘に使用するのを暗黙の了解に生物兵器に使用できる病原菌を供与したのだそうです。(現在、アメリカは自分でイラクに生物兵器を供与しながら、それを廃棄せずに保有しているとの疑惑を口実にイラクを攻撃してるのです。)アメリカは他国や他の地域で武力紛争が起きるように意図的に武器を供与していたのです。
そして、そのアメリカは現在の台湾にも武器を供与しているのです。
3. 台湾が統一交渉に応じなければ、アメリカは武器供与を停止するべきです。
北京政府は台湾が統一に応じるなら「一国二制度」で自由主義経済と政治的自由を認めるとしています。それも、香港の「一国二制度」より広範な自治を認めるもので台湾独自の軍隊の保有まで認めるという破格の条件まで提示しています。つまり、「統一」と言っても名目的なもので実質的には独立を認めるのに等しい程度にまで大幅に譲歩しているのです。
それにもかかわらず、現在の台湾の陳水扁政権は統一交渉に応じようとはしていません。統一に応じ「一国二制度」を受け入れれば、自衛用兵器の供与は認められるべきでしょうが、統一交渉に応じなければアメリカが台湾に武器を輸出するのは将来の大規模な内戦の原因を創り出していると言う他ありません。なぜなら、アメリカの武器供与がなければ台湾は必然的に統一交渉に応じるはずであって内戦が起きないからです。
この事を踏まえれば、北京政府はアメリカ政府に、台湾が「一国二制度」を受け入れるまでアメリカの台湾への武器輸出停止の条約を結ぶべきでしょう。また、台湾が「一国二制度」を受け入れるまでアメリカの国内法「台湾関係法」(注5)の武器輸出規定の効力停止のための改正も要求すべきでしょう。
2004年2月6日
浅見真規 asami@mbox2.inet-osaka.or.jp
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(注1) 林えいだい 編・「台湾植民地統治史」・梓書院・平成7年9月25日発行・p.12下段中央写真
(注2) 1874年の台湾植民地政策大転換までは清朝中国は先住民と平和共存政策を採っており、先住民の居住する台湾東岸・中央山岳地帯を実効支配しようとはしていませんでした。そのため、アメリカは清朝中国を無視して台湾先住民と条約を結んでいました。
(注3) 日本でも戦国時代には戦で敵将・敵兵を殺して首を取るという事はありましたが、19世紀以前の狩猟生活をしていた台湾本島山岳地帯の先住民社会においては他の部族を殺害して首を取るというのは仲間から尊敬される非常に名誉な事としてそれ自体が目的化されている場合が多かったようです。そしてその首の頭蓋骨を集落に飾っていました。銃が普及する以前に刀と弓矢で首狩していた頃は集落に頭蓋骨の展示をする事により侵略者への警告の効果もあったでしょうから野蛮なように見えても自衛に有効だったと考えれば首狩にもそれなりの合理性もあったのかもしれませんが、連発式ライフルで首狩をするようになってからは危険で野蛮なオーバーキルの連鎖が起きたと思われます。いかに大量の犠牲者が出たかは黄文雄 著・「台湾は日本人がつくった」・徳間書店・2001年4月30日初刷・p.191の首棚写真で斜面を埋め尽くすように並べられた頭蓋骨の数を見ればわかるでしょう。
尚、「首狩」と言っても銃の普及した19世紀末では刀で首を斬って相手を殺すのでなく、銃で相手を撃ち殺してから死体の首を切り取る事が多かったようです。
(注4) 2003年3月2日午後9時NHK放映・「アメリカとイラク・蜜月と敵対の20年」
(注5) Taiwan Relations Act : アメリカ合州国が、中国の正統政府の認定を台北政府から北京政府に変更するにあたり、台北政府を軍事的に支援するために制定した合州国の国内法。