軍用機献納運動提唱し日中全面戦争を扇動した朝日新聞の戦争責任はA級戦犯より重い。

 

東京朝日新聞(朝日新聞東京本社の前身)は1937年7月7日に勃発した盧溝橋事件(注1)後、現地兵力や補給につき不安のあった日本が蒋介石・中華民国国民政府主席の「最後の関頭」声明(注2)に応じて譲歩する余地があったにもかかわらず、軍用機献納運動を提唱して日本の世論を戦争へと扇動し譲歩の余地を封じ、また、軍用機献納運動とそれによって盛り上がった世論により日本政府の戦費や徴兵の不安を払拭し日本を本格的な日中戦争に駆り立てた。

 

軍用機献納運動提唱記事の載った紙面:軍国主義一色で中国を討つべしとの雰囲気がある。

1937年7月20日東京朝日新聞(縮刷版)より引用 (ただし、緑色の枠は私が引いたもの)

 

軍用機献納提唱記事部分拡大

1937年7月20日東京朝日新聞(縮刷版)より引用

 

そして、1937年9月9日にはその献納機第一号の上海への出陣を誇らしげに記事にしている。

 

東京朝日新聞(1937年9月9日記事)縮刷版より引用

 

開戦責任等についての「平和に対する罪」で死刑となったA級戦犯と比べても、盧溝橋事件の平和的解決への道を封じ、世論を扇動し全面戦争に駆り立てた朝日新聞の戦争扇動責任は重い。しかも、朝日新聞は日本の敗戦後に、その重大な戦争扇動責任を謝罪・反省していない(注3)

なぜ、朝日新聞が戦争扇動をしたかという本音の動機については(朝日新聞が提唱時の記事の檄文以外の本音の動機については回答を拒否してるので推測するしかないが)、戦争扇動すれば世論受けして新聞販売が伸び、しかも、軍から優先的に戦争記事を入手でき、大幅増収が期待できるからである。そして、その販売と記事入手のために虚偽報道をする姿勢は第二次世界大戦後も従軍慰安婦強制連行について吉田清治が虚偽証言を認めた後も長期間訂正しなかった事等から今でも変わっていないと思われる。

尚、現在、中華人民共和国政府は日本の総理大臣の靖国神社参拝について、A級戦犯合祀を理由に猛反対している。A級戦犯のA級戦争犯罪は開戦責任等についての「平和に対する罪」であり、朝日新聞の日中戦争扇動責任はA級戦犯より重いのは明白である。しかし、中華人民共和国の中国共産党機関紙である人民日報は朝日新聞と提携関係にあり、朝日新聞は過去の日中戦争扇動責任の負い目から中国寄りの報道姿勢をとっており、中華人民共和国政府も朝日新聞を日本での代弁者とする事で朝日新聞の戦争責任を免除してる疑いがある。中華人民共和国がA級戦犯合祀のみを理由(注4)に日本の首相の靖国神社参拝を私的参拝すら認めないなら、朝日新聞との提携関係を解消し朝日新聞に戦争賠償を請求すべきである。また、それほど過去の国際軍事法廷の判決結果を金科玉条のように神聖視するなら国際刑事裁判所設立条約 (国際刑事裁判所に関するローマ規程)も締結すべきであろう。そういう意味で、私は中華人民共和国政府のA級戦犯合祀のみを理由に日本の首相の靖国神社私的参拝への批判は当を得ず、そういう主張よりは靖国神社そのものの取り潰し要求すべきと思う。

朝日新聞1945年11月7日「国民と共に立たん」には戦争扇動の謝罪が無い


(注1) 1937年7月7日、北平(現・北京)郊外の盧溝橋付近で軍事演習していた日本軍と中国軍が武力衝突した事件。事件の発端について、日本では中国側が発砲したとする説が優勢であるが、中国では日本側は発砲したとされる。私は、現地の日本軍の古参将校・古参兵が訓練の日本軍の空砲音を中国側の発砲と偽り、日本軍の訓練部隊のほとんどを占めていた新兵に中国側からの発砲があったと錯覚させたと考える。実際、盧溝橋付近で軍事演習していた日本軍の小隊長だった野地伊七手記には、次のように記されていた。[秦郁彦 著・「盧溝橋事件の研究」東京大学出版会・p.147参照]

>「パン」という音の次には「シュー」と天空を飛んで行く音が確かに聞こえた。

しかし、これは小銃弾は超音速なので矛盾であり、盧溝橋事件は古参将校・古参下士官らが「伏せろ」と言って戦場経験のない兵士らに訓練での日本軍の空砲音を中国軍の発砲と信じ込ませた疑いが濃厚である。また、当時、現地にはいなかったものの実質的な最高責任者だった連隊長は出世欲旺盛で、後に無謀なインパール作戦を立案し極めて多数の日本兵の戦死を出した事で悪名高い牟田口廉也だった。日本軍の謀略により盧溝橋事件が引き起こされたと考えるのが妥当である。実際、万が一、仮に中国軍が最初に発砲したと仮定しても実害がなかったのに攻撃し、結果として1ヶ月強の間に宛平県城(盧溝橋城)と中国の旧都の北平城(北京城)を占領したのである。

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(注2) 蒋介石・中華民国国民政府主席の「最後の関頭」声明は最後の関頭に至れば全力を尽くして戦うというものではあったが、和平交渉を優先するものであった。おそらく、盧溝橋事件以前の状態に戻すなら和平に応じたと思われる。現地の軍閥は日本軍との衝突で自己の軍団のみが被害を受けるのを恐れ中国中央政府の許可無く現地の日本軍と停戦合意し宛平県城(盧溝橋城)からの撤退を約したが、蒋介石はそれを認めなかったのは当然であった。中国軍に中国の城からの立ち退きを要求した日本側の要求が不当だったからだ。実際、日本軍に宛平県城(盧溝橋城)を取られ、北平城(北京城)も取られるとの蒋介石主席の危惧は「最後の関頭」声明の20日後に現実のものとなった。

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(注3) 朝日新聞は日本の敗戦直後に「国民と共に立たん」(1945年11月7日)という声明記事において、制約があったために虚偽報道をしたと謝罪はしているが、それは虚偽報道を朝日新聞に強制した軍部・政府に根本的責任があり朝日新聞社も被害者であると暗に述べるものにすぎず、盧溝橋事件直後に朝日新聞が自発的に軍用機献納運動を提唱し全面戦争を扇動した事実については触れていない。

尚、朝日新聞・広報部・高原氏は、日本の敗戦直後に「国民と共に立たん」(1945年11月7日)という声明記事冒頭において謝罪したとするが、検討したところ、当該声明は軍部や政府に虚偽報道を強制された受動的な責任を謝罪するのみである事が判明した。これについては、別項[  朝日新聞1945年11月7日「国民と共に立たん ]には戦争扇動の謝罪が無い]にまとめたので詳しくはそちらを参照されたい。

 そして、朝日新聞社は1990年代には戦争責任を一般兵士にまで転嫁するため虚偽の「従軍慰安婦強制連行」記事を掲載した。

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(注4) 日中共同声明当時からすでにB・C級戦犯合祀があったにもかかわらず、中華人民共和国政府が日中共同声明の直前に靖国神社を参拝した当時の首相だった田中角栄を歓迎し、戦争賠償を放棄した。これは、北京政府がその場しのぎで台北政府との対抗意識により日本からの政府承認が欲しくて過去の戦争責任をウヤムヤにしたからであるが、経済力・国際的影響力がついた今となっては靖国神社首相参拝を容認したくないのでA級戦犯合祀のみを首相参拝批判の理由にしているのである。しかし、死刑になったA級戦犯より、戦争責任を問われなかった朝日新聞と盧溝橋事件で最初に戦闘した部隊の連隊長・牟田口廉也の責任の方が重い。特に、朝日新聞が盧溝橋事件の事後処理で平和的解決に向かいかけていたのに世論を全面戦争に向けて扇動した罪は重い。

 

中華人民共和国政府が、A級戦犯合祀のみを首相参拝批判の理由にしている事については下記人民日報での王毅駐日大使発言参照。

http://j.peopledaily.com.cn/2005/11/03/jp20051103_54859.html

>中国の立場は一貫している。われわれはかねてから、戦争責任は少数の軍国主義者が負うべきであり、

>日本の国民も被害者であることを主張してきた。この立場から、中国は日本への賠償請求を放棄し、

>日本との国交正常化を実現した。同様にこの立場から、われわれは、軍国主義の象徴であるA級戦犯を祭った

>靖国神社を日本の指導者が参拝することにこれまでずっと反対している。一般市民が靖国神社に行くことに異議はなく、

>B級、C級戦犯を外交問題にするつもりもない。中国の要求は決して行き過ぎたものではなく、つまり1985年の中曽根内閣以降の

>日本の歴代内閣のやり方に戻ってほしいということだ。もし独断専行して参拝を続け、侵略に理があると吹聴する「靖国史観」を

>認めるに等しい姿勢を取り、戦争の性質と責任について日本政府が表明した立場をうやむやにし、中日関係の政治的基礎を

>損ねるならば、日本自身のイメージと利益も損なわれるだろう。

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2016年8月30日 (当初版2005年11月17日

浅見真規 vhu2bqf1_ma@yahoo.co.jp

朝日新聞1945年11月7日「国民と共に立たん」には戦争扇動の謝罪が無い

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