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(原発推進)電力中央研究所論文のウソと疑問点

井上大栄(電力中央研究所)論文の問題点

 

1.「結果論」で原発予定地周辺の危険な断層を予知できるとする井上大栄(電力中央研究所)論文

  島根原子力発電所について原発反対派から島根原発周辺に大地震の震源となりうる危険な活断層の有無について問題が提起され、島根原発設置者の中国電力株式会社はそのような危険な活断層は島根原発周辺に存在しないとしていました。しかし、2000年10月6日に鳥取県西部地震が起きました。その地震震源域は今まで活断層の存在が知られてなかった地域で、危険な活断層は発見可能とする中国電力の主張にも疑問が生じました。

  ところが、電力9社が設立した電力中央研究所の井上大栄氏は電力中央研究所の2001年版研究年報で、鳥取県西部地震震源域周辺に同様の走向を持った活断層を発見し、それは周辺地域の歴史地震である出雲地震(880年)の地震断層であるとし、よって周辺地域において原子力発電所用地の選定・耐震設計において必要な地震規模の事前予測が可能と結論付けられてます。(注1)

2.井上大栄論文の問題点

  単に井上氏が「結果論」で予見可能と主張した事や電力中央研究所という電力会社9社が設立した財団法人に属しているので中立性に疑問があるというだけでなく、以下のウソや実質的な疑義があります。

第一点、井上大栄氏は西暦880年の出雲地震と2000年鳥取県西部地震の被害状況が似ているとされます(注2)が、これはウソです。西暦880年の出雲地震では出雲国府で大きな被害が出ました(注3)が、2000年鳥取県西部地震では出雲国府のあった付近の被害は軽微でした。詳しく言いますと、出雲国府跡は東出雲町に隣接する松江市南東部の松江市大草町にありますが、2000年鳥取県西部地震では、松江市の家屋で全壊なし・半壊1棟、東出雲町全壊なし・半壊なし(注4)という結果でした。これで、「被害状況などは今回の地震と非常に似ており」などと言っているのです。どこが非常に似ているのでしょうか?これが原発推進の電力会社系研究所員の論法なのですかね?

  また、逆に2000年鳥取県西部地震では日野町の家屋で全壊129 棟・半壊441棟(注5)でしたが、西暦880年の出雲地震の被害記録について私が東京大学地震研究所編集「新収日本地震史料・第1巻」「同・補遺」「同・拾遺」 (日本電気協会)を調べ東京大学地震研究所にメールで問い合わせた範囲では「三代実録・第三十八巻」の出雲国庁からの被害報告のみでした(注6)。尚、伯耆国日野郡の被害報告がないのは伯耆国日野郡が辺境の過疎地だったからではなく当時の伯耆国司の行動パターン (注7)からして被害がほとんどなかった可能性が高いと考えられます。

  被害報告を表にまとめますと、下のように出雲地震(880年)と鳥取県西部地震(2000年)で被害地域が異なるのが明瞭です。

被害報告比較表

 

松江市と東出雲町の被害の合計

鳥取県日野町の被害

出雲地震(880年)

被害大

被害ほとんどなしと推定される(根拠)

鳥取県西部地震(2000年)

被害ほとんどなし

被害大

第二点、井上氏の主張は実質的には地震を起こす活断層を事前に発見可能とするにもかかわらず、付近の原の前遺跡(松江市西川津町)・勝負遺跡(東出雲町)の地震痕跡(注8)の震源地や地震断層を特定していないのは矛盾の疑いがあります。

第三点電力中央研究所の2001年版研究年報(別ウィンドウ表示はここをクリック)で断層より西側(スケッチでは右側)の花崗岩のみに乗っている見かけ上は断層運動で切られたように見える砂礫層を「断層に切られる地層」と名づけてC14分析によって問題の断層の最終活動年代を西暦880年頃とされてます。しかし、その砂礫層が問題の断層の最終活動前にすでに花崗岩上にあって断層運動によって切られたのか疑問です。場合によっては、断層より西側(スケッチでは右側)の花崗岩のみに乗っている見かけ上断層運動で切られたように見える砂礫層は断層の最終活動よりかなり後で堆積した可能性すらあります。特に、井上大栄氏が「断層に切られる地層」と名づけた地層から採取された試料のC14分析の年代が上位の物(T−4)が古く下位の物(T−1)が新しく年代が上下で逆転してる事から井上大栄氏が「断層に切られる地層」と名づけた砂礫層が二次堆積によるものだとすれば断層の最終活動よりかなり後で堆積した疑いもあります。その場合には、そもそも問題の断層が活断層か否かすら疑問だという事です。というのは、断層面にある玄武岩の岩脈が薄い事から断層が先にできて玄武岩マグマがそれにそって上昇したと考えるべきだと思われます。ところが、現在では風化・浸食のため断層面の玄武岩の岩脈のできた時に玄武岩マグマが地表に到達したかどうかもわからない状態です。玄武岩マグマが地表に到達してたらなら小規模火山ができた可能性が高いのにありませんし、地表に到達してなかったら当時は上部にある程度の地層があった可能性が高いのにそれもありません。もしかしたら問題の断層ができたのは大根島火山のできた時代よりずっと昔で、第三紀にできた断層かもしれません。すぐ近くの松江市では第三紀中新世に小規模の玄武岩火山ができたのですから、少なくともその頃からトレンドは同じだったはずです。そして、問題の断層が第三紀以前の断層だったら活断層かどうかも怪しいかもしれません。もし問題の断層が活断層でないとすれば、なぜ段差があって断層より西側(井上論文のスケッチでは右側)の花崗岩の上面が低いかですが、断層より西側(井上論文のスケッチでは右側)の花崗岩は東側(左側)の花崗岩より地震による断層運動の結果かひび割れが多くより風化・浸食されやすい状態になっていたので侵食が速く進んだ結果、低くなった可能性もあるでしょう。電力中央研究所が問題の断層を活断層だと主張するには玄武岩岩脈をK−Ar法で年代測定をして第四紀の玄武岩である事を確認してからにすべきだったと思います。

第四点、仮に、井上大栄氏が「断層に切られる地層」とする砂礫層部分が問題の断層の最終活動前にすでに花崗岩上にあって断層運動によって切られたとしても、そこから採取した試料の年代が上位の物(T−4)が古く、下位の物(T−1)が新しく、砂礫堆積後に有機液等が流入し、地下水位が4世紀から10世紀にかけて徐々に低下したため年代が上下逆転した可能性もあります。その場合、C14分析による試料の測定年代は地層成立年代を示さないでしょう。

3.注意

  ここで、注意していただきたいのは、もし仮に、電力中央研究所が日野町久住に掘ったトレンチの断層が西暦880年の出雲地震の断層だとしても、それをもって地震断層を特定できる過去の地震は西暦880年の出雲地震だけであり、原の前遺跡(松江市西川津町)・勝負遺跡(東出雲町)の地震痕跡の元になった地震の断層の特定はできないという事です。2000年鳥取県西部地震自体が地震断層が地表に現れておらず、また、島根原発北側の日本海も南側の宍道湖・中海も空中写真判読や地表踏査の手法を行うのは困難もしくは不可能です。さらに、島根原発のすぐ南にある松江市の中心部を東西に流れる大橋川付近は出雲国風土記が編纂された奈良時代初期には海だったので堆積物の下の東西方向の断層を発見するのは困難です。また、すべての日本の原発は海に面していますが海底の断層の発見も困難です。さらに、言うならば空中写真判読によるリニアメント発見は主観の混じるもので特定の地震発生後に結果論で発見するのと地震発生前に原発予定地選定時に(用地買収その他の事情で実質的に選択の余地がない場合において)同じ基準でリニアメントが発見できるのかという疑問もあります。井上氏の基準で調査して日本中の調査可能地域を同様の方法でリニアメントを明らかにして今後200年以上経って、それらの地域でのすべての地震の発生を予言できたという実績を示さねば井上説を原発の安全性の根拠とするには危険でしょう。

 

2004年3月4日

浅見真規 asami@mbox2.inet-osaka.or.jp

(討論用掲示板) 「大根島」 (御意見をどうぞ)

(談話室)「オクトパスアイランド」 (お気軽にどうぞ)

目次


(注1)  井上大栄、(電力中央研究所・2001年版研究年報)

2000 年鳥取県西部地震における地震断層の活動履歴調査

http://criepi.denken.or.jp/jpn/PR/Nenpo/2001J/01seika53.pdf

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(注2) 電力中央研究所・2001年版研究年報「2000 年鳥取県西部地震における地震断層の活動履歴調査」に井上大栄氏は以下のように主張されています。

http://criepi.denken.or.jp/jpn/PR/Nenpo/2001J/01seika53.pdf

>主な成果

>・・・・・(中略)・・・・・

>4. この地域では西暦880年に出雲地震が記録されている。広域での地震動、被害状況などは

>今回の地震と非常に似ており、この断層は出雲地震時に動いた可能性が大きく、

>地下の震源断層は出雲地震と同様であったことが推定された。

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(注3) 日本三代実録・巻三十八・元慶四年十月二十七日の記載参照。

官舎の被害報告のある事から出雲国府(現・松江市大草町:ただし、現・東出雲町に隣接)に被害のあった事がわかります。

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(注4) http://www.pref.shimane.jp/section/shoubou_bousai/hodo-m/C2001040901/C2001040901.htm (島根県HP)

(注5) http://www.pref.tottori.jp/bosai/seibujisinhigai.htm (鳥取県HP)

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(注6) 東京大学地震研究所編集「新収日本地震史料・第1巻」「同・補遺」「同・拾遺」(日本電気協会)に出雲地震の根拠文献が示されておらず、私が東京大学地震研究所にメールで問い合わせた範囲では根拠が「三代実録・第三十八巻」のみだったので、もし仮に宇佐美龍夫・東京大学名誉教授のが無能でいい加減な人物なら「三代実録・第三十八巻」にある出雲国庁の被害報告のみから適当にそこを震源と比定した疑いもありますが、宇佐美龍夫・東京大学名誉教授が有能できっちり仕事をしていたなら、当時の伯耆国司の行動パターンを考慮して震源を東出雲と比定したのかもしれません。ただ、宇佐美龍夫・東京大学名誉教授が「新編日本被害地震総覧」(東京大学出版会)「わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図」(日本電気協会)で根拠文献を示しておらず東京大学地震研究所も「新収日本地震史料・第1巻」「同・補遺」「同・拾遺」(日本電気協会)で出雲地震の根拠文献を示していないのは科学文献としては問題があります。(このままでは東京大学地震研究所の門外不出の「秘伝」となってしまいます。)もちろん、歴史地震の震源を比定する作業は勘や経験にたよるファジーな部分もあり根拠を示すのは困難で面倒な部分があるのは事実ですが、今回のようにそれの正否に疑念が生じた場合において困難が生じます。その点については宇佐美龍夫・東京大学名誉教授と東京大学地震研究所には反省と改良を求めます。

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(注7)日本歴史地名大系・第32巻「鳥取県の地名」(1992)平凡社p.423-424古代 [災害と争乱]参照。

  それによれば、出雲地震(西暦880年)当時の伯耆国司が災害を逐一中央に報告して中央への納税の減免や支援の優遇措置をもくろむ(実際に優遇措置を受けた記録有り)タイプだったと推定される事や水害や不作を報告してる事がわかります。それゆえ、出雲地震(880年)について伯耆国(現・鳥取県西部)の被害の記録がないのは伯耆国(現・鳥取県西部)で被害がほとんどなかった事の裏返しと考えられます。

↓は同書p.424の当該部分のコピー

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(注8)  http://www.pref.shimane.jp/new/inishie/7pdf/7-38.pdf  (原の前遺跡、島根県HP・PDFファイル・271KB

http://fish.miracle.ne.jp/dawnkato/genpatukohan1.htm  (原の前遺跡、島根原発「30キロ」住民運動会長・加藤暁さんのHP)

http://www.pref.shimane.jp/section/maibun/pdf/map.pdf  (勝負遺跡、島根県HP・PDFファイル・約1MB

http://www.town.higashiizumo.shimane.jp/iseki/iseki06.htm  (勝負遺跡、東出雲町HP)

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